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テロリストが唱える「テロとの戦い」

イスラエルにシュラット・ハディン(イスラエル法律センター)という「NGO」がある。BDS運動に対する「法律戦」(Lawfare)を世界各地で展開しており、ニュージーランドの歌手ロードのテルアビブ公演中止を呼びかけ、キャンペーンを成功に導いた活動家に対し、イスラエルの反ボイコット法を初めて適応するかたちで訴訟を起こしたり、AirBnBがイスラエル入植地における民泊登録を取り消す決定を発表したことに対し、米国の裁判所でAirBnBに対し訴訟を起こし、和解で決定を取り消させたりしてきた。同組織の「法律戦」の強みは、イスラエル政府やその公的機関(モサドなど)の監督の下、各国のシオニスト団体との緊密な連携によって、戦略的なスラップ訴訟(提訴することによって被告を恫喝することを目的とした訴訟)を行える組織的・資金的なリソースをもっていることにある。米国のシオニスト組織サイモン・ウィーゼンタール・センターの日本窓口を担ってきた徳留絹枝氏も、繰り返しシュラット・ハディンの「法律戦」をツイッターで広報している。

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ところが、最近、この組織の代表の夫で、創設者の一人でもあるアヴィエル・ライトナーが、1980年代にユダヤ教原理主義組織カハ党およびその関係組織であるユダヤ人防衛同盟(JDL)のメンバーとして、イスラエルでパレスチナ人に対して行ったテロ活動に関して実刑判決を受け、投獄されていたことが、オンラインメディアMiddle East Eyeの記事によって暴露された。ちなみにシュラット・ハディンはホームページ上で「テロとの戦いの最前線」に立っていると自身の立場を説明している。https://www.middleeasteye.net/news/israeli-anti-terrorism-lawyer-shurat-hadin-convicted-attacks-palestinians
https://www.israellawcenter.org/

カハ党およびJDLは、西岸・ガザを含む全パレスチナからのパレスチナ人追放を主張するユダヤ教原理主義者メイル・カハネによって創設された。これらの団体や、関係するカハネ信奉者は、1970年代から90年代にかけて、米国およびイスラエル等で、アラブ人やパレスチナ人をターゲットとした多くのテロ活動に従事してきた。1994年にカハ党員バルーフ・ゴールドスタインがヘブロンのモスクで29名の礼拝者を虐殺した事件の後、イスラエルや米国でテロ組織指定を受けた。

現在もシュラット・ハディンで活動しているライトナーは、米国出身で、1970年代から80年代にかけてJDLが米国内で繰り返していたアラブ系レストラン爆破事件等のテロ活動に関わっていたが、当局の取り締まりを逃れるため、1983年に他の数十名のメンバーとともにイスラエルに活動の場を移した。そして引き続き、西岸地区のパレスチナ人に対する無差別テロに従事した。それらの中には、パレスチナ人の新聞社や一般民家に対する火炎瓶による襲撃や駐車中の車両に対するガソリン放火が含まれる。
https://electronicintifada.net/blogs/asa-winstanley/lawyer-israeli-anti-terror-group-was-convicted-terrorist

1984年3月、パレスチナ人労働者が乗ったバスをライフル銃で無差別銃撃するテロ事件を起こした直後、ライトナーらはイスラエル当局に逮捕されるが、保釈中にライトナーは一人米国に逃亡し、国際指名手配犯となった。1986年1月に米国で逮捕されたライトナーはイスラエルに送還され、6件のテロ容疑を認め、13か月の実刑判決を受けた。

ライトナーは服役後、米国で弁護士資格を取り、2002年頃、当時のモサド長官メイル・ダガンの意向を受け、妻とともにシュラット・ハディンを創設した。テロ実行犯のシオニストが、「テロとの戦い」を称してパレスチナ人を弾圧する、という話は、英国委任統治下パレスチナでテロ組織指導者として指名手配されたメナヘム・ベギンが後のイスラエル首相となった例を引き合いに出すまでもなく、珍しいことではない。そもそもシュラット・ハディン創設の発案者とされるメイル・ダガン自身が、2010年のドバイにおけるハマース幹部暗殺をはじめとしたモサドによるテロ作戦の責任者である。しかし、かつてイスラエル自身がテロ実行犯として有罪判決を下した極右活動家が、イスラエル政府の意向を受けたかたちで反BDS活動を白昼堂々と行っているということは、スキャンダルと言ってもよいだろう。

このことは90年代後半以降進んできたイスラエル政治の右傾化を象徴している。カハ党のイデオロギーを受け継ぐオツマ・イェフディット(Jewish Power)党が、この間繰り返されてきたイスラエル選挙をめぐる連立の駆け引きにおいて一定の存在感を示してきたことからも分かる通り、イスラエル国内においてカハネのイデオロギーは今も健在であり、もはや周縁的存在とは言えなくなりつつある。これは、イスラエル国家が建国時から継続的に犯してきた戦争犯罪・アパルトヘイト犯罪を国際社会がことごとく不処罰に付してきたことの必然的結果ともいえる。また同時に、「文明化の使命」というかつて社会主義シオニストが頼った植民地主義の不正を糊塗する言説が、世界中の植民地解放闘争によって否定され説得力を失った結果ともいえる。

つまり、100年にわたる植民地支配に囚われ続ける中でそのアイデンティティと未来への意志を再生させ続けてきたパレスチナ人に対して、イスラエルは、もはや同語反復的な力の論理とその場しのぎの嘘以外に語れる言葉を持たないようにみえる。問題は、日本を含めた国際社会が、そうした植民地主義の論理への開き直りに便乗し、自らの排外主義・人種主義を正当化する道を選ぶのか、パレスチナ人の声に耳を澄まし、幾重もの差別・分断の克服を志向する人類共存への道を自省的に模索するのか、であろう。(や)

※トップ画像は、米国最大のイスラエル・ロビー団体AIPACの政策会議に抗議する在米ユダヤ人・パレスチナ人等のデモに対抗し、会場を「防衛」するカハネ信奉者たち(ワシントンDC、2017年3月、筆者撮影)

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