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『相手のため』は、『君のためだから』と同じ?

ラツーダを増薬して以来、睡眠不足もあってか躁側に振れやすい。いや、躁だから睡眠不足になるのか?どちらかは判断がつかないが、とにかく不安定だ。鬱なら薬で寝てしまえば良いが、躁だとせっかくの好機を逃すわけにはいかないと考えてしまうのが浅はかなところ。何度失敗しても懲りない。学習機能はないのか?

今朝も、13インチMacbook ProをAppleのオンラインで買ってしまった。ストレージもメモリも増やしたので、そこそこ良いお値段

言い訳しておくと、現在メインで使っているのは2012年製のMacbook Pro。9年前のモデルを自力で(安くつくから!)、2回のバッテリ交換、ストレージ交換(HDクラッシュした時、ついでにSSDへ)、メモリ増設をして使ってきた。しかし今回、macOS Big Surに対応しなくなったし、代替えかな、とは思っていた。

でも、朝方の3時に購入を決断するべきものではないわな。

よく自分でもいやらしいな、と思うのはこういった「言い訳」を用意するところ。結局これは「僕は躁状態だから散財したんじゃなくて、必要に迫られて買ったんだよ」という免罪符を自分自身に与えているに過ぎない。

相手が存在する場合、「自分」が為したいと欲しているだけに過ぎない行動を、「相手のため」と勝手に理由づけ(=言い訳)してしまうのは、決して褒められたことではないと思う。

「『君のためだから』という人は、100%自分の利益しか考えていない」。そんな人達に、これまで散々酷い目に合わされてきた。しかし今頃になって、自分も立場を替えてそれと同じことをしていたのではないか、と不安になってきた。

自分の利益しか考えていないというつもりはないので、似て非なるものなのかも知れない。でも、きちんと区別がつけられるように心掛けていきたいと思う。

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