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なんのために

書いては消して、書いては消してを繰り返していると、何のためにnoteを始めたのかだんだん解らなくなり、「ああ、こんな記事を投稿してもなあ」と塞ぎ込んでしまいます。

そしてひとしきり酸欠を味わい気分のどん底を味わったあと、自分の首を絞めているのは自分だと気付き、ようやく手を緩めます。
待っているのは自分の手で時間を無為にしてしまった事への虚無感、脱力感、憂鬱感とそれに苛む時間で、結局ここでも自己嫌悪をリフレインして、またどうしようもなく時間が経ってしまうのです。

自己否定なんて言えるほどカッコいいものでもなく、ただ薄らとした強迫観念のようなものに自分が突き動かされていた事に気が付きます。自分で自分の首を絞める無意味さは理解しても、首を絞めるに至った根本的な原因の解決にはなっていないんです。


自分の持つ嘘と怠慢が、四半世紀以上自分の心の中で熟成され、今では感情を持った生き物みたいに自分の行動を支配している気がします。
因果応報。ツケは一気に襲ってくるのではなく、徐々に蝕んでくるものみたいです。
せめてどこかで感情を発露しないと、吐き出していかないと、そして嘘をつく生き方を少しずつでも改めていかないと、自分を支配しようとする怪物にいつか首を絞め落とされるかもしれません。

日記やnoteに書き記したり、バンドで演奏したりして感情を発露することがまるで逃避行動のようになってしまうのは非常に癪ですが、そこにまで気後れしてしまうといよいよ八方塞がりになってしまうので、まだ手段があるだけマシだと思えます。そしてそのおかげか、まだそこまでどん底って感じではありません。自己嫌悪は加速しますが。


大好きなバンドの好きな曲についてもっと書いたりとか、最近聞いた他の音楽の事とか、あるいは住んでるマンションでほぼ毎朝掃除されても夜には巣を張り直してる逞しい蜘蛛の事とか、次はそういう気楽な話を書けたらと思います。

今回も乱文になってしまいましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。


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