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写真の面白さがわからないと思う人へ

友人の炭酸水ケンタがこんなことを書いていた。

高校生の頃から8年近く写真を趣味にし、ここ半年ほどは仕事で写真に関わっている僕に疑問をまるまるとぶつけられてるではないか。

特段、彼を説き伏せて写真は面白いぞって言わせたいと思ってはいないが、彼の疑問に思うところに突っかかっていこうと思う(笑)

スマートフォン、特にiPhoneの画質がモデルチェンジをするたびに良くなって来たことで、iPhoneでも良いな画質で写真を撮ることができるようになった現代において写真が趣味だ。という人が一眼レフを持って歩くような僕たちだけでなく、もっとライトな層を含めて趣味としての裾野が広がって来ているような気がしているのはKentaくんも書いている。

自分の体験になるのだが、この前その時に撮った写真を見せられたことがある。その時にこう言われた。この写真めっちゃ良いでしょう。僕はどういう反応をすれば良いのかわからず、そうやなと感情も特に込めずに答えたことがある。その時に僕はこう考えた。この写真は一体なんで良いんだろう。機械の中にある写真を見せられても、今自分がみている風景の方が、立体感があって良いと思ってしまうので、なんだか賛成しがたい気持ちになってしまう。きっとこの人の中では、僕と違う感性があって違う考え方をしているのであろうかとか考えてしまうのである。それでも、その子は楽しそうに写真を撮っている。最後に一番簡単で楽な結論にいつもたどり着く。それは、まあ人それぞれ感じることは違うから仕方ないか、と。

一部のカメラ好きの中では「肉眼レフ」という言葉を使ったりする。一眼レフをもじったことばでつまり「肉眼」のことを指すのだが、どんなカメラを使っても撮れない写真を目に焼き付けるときに使うジョークである。

つまり、僕たちカメラ好きにとっても肉眼がカメラより優れているということは分かった上で写真は撮っている。

じゃあ、なぜこの写真めっちゃ良いでしょう。と言うのか。

例えば、僕の撮ったこの写真、少ししゃがんで撮っているので大人の目線とは違う。奥行きが感じ方が肉眼とは違う。見える範囲が違う。鮮やかさも違う。おそらく、隣で一緒にベンチを見ている人がいたとして、僕にはベンチがこういう雰囲気で映った、僕はこの雰囲気好きだからいいでしょう?なのだ。

今は一枚一枚の写真が加工され、技術の高さが評価され、その時間軸に乗せるというよりは、技術にフォーカスが当たっているような感じがする。(中略)この写真が綺麗やろとかめっちゃ良くない?など、技術の面での形容詞が多い気がする。

もちろん、写真を撮る上で技術が向上するほど自分の思ったような写真に近づくことができるので、技術を自慢したいという気持ちもあるしそういった話題で話すことが多いが、あくまで写真好きの間での話にとどめるようにはしている。。

これで答えになっているのだろうか?途中で書いていて分からなくなったけど。コメントください。

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