無意味な戦いから逃げて大切なものと出会ってほしい

通常「ひとりでも多くの人に読んでほしい」などと思うことはないので、読者を増やすために体裁を良くする工夫や努力はほとんど考えないし、たまに個人的な主張を見ず知らずの人の目に触れる形で発信するのは、公開というある程度緊張感のある場所で自分の考えを整理したり、たんにその時の鬱憤を吐き出すためであったりするのだが、先日友人限定でSNSに投稿したこれは、知らない誰かが読んでくれて、ほんの少しでもなにかの助けになればと思い、noteでも公開することにしました。

「いじめ」はこれからもなくならないし、いじめっ子を根絶することもできないと思うけど、最悪の選択をしない(させない)ためにできることはあるのではないか、という話です。
ひとりでも死ななくてもいい子どもを死なせたり、それに加担してしまうような人を減らせるように…。

「“葬式ごっこ”元同級生 35年目の告白」
https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/WQZ5PJM1J8

忘れてはならない事件。当時高校生だったからよく覚えている。
35年ぶりに顔出しで証言した元クラスメイトは、間違いをおかしたかもしれないが立派だと思う。

いじめの主犯たちは、この人のように罪悪感に苛まれることもなく、自分の脳内で勝手に責任転嫁して、いまでものうのうと暮らしているのだろう。

うちの子が小学校に上がる前、学童保育の友だちに帽子を隠されたりしたときに、先生も余裕がないのか取り合ってくれないようなので、お迎えのときにやった奴を呼び出して、他の子どもも先生もいる前で「友だちならこういうことを絶対にするな。二度とするな」といって、本人に謝らせた。

やった本人も最初はなにか相手に気に入らないところがあってやるのだろうが、それを直接いわないで、周りが冗談ともとれるような陰湿な嫌がらせをすることがいかに卑劣で唾棄すべき行為であるかを、小さいうちに大人がきっちりと教えてやらなくてはいけない。

うちの子に対しては「やられたらはっきりと嫌だからやるなと言え、それでもまだやるようなやつは友だちではないから、付き合わなくていい。おまえは今回やられて嫌だとわかったのだから、ひとには絶対するな」と教えた。

子どもたちは学校の教室という逃げ場のない、とてつもなく狭い小社会で、なんとか疎外されないように懸命に生きている。
自分と感覚の異なる者を徹底して攻撃したり支配しようとする人間もいて、そいつが力を持っている場合、そのムラ社会で生き延びるために長いものに巻かれる「その他大勢」が結果として、いじめの加担者にもなってしまう。

一番の問題は「学校」という社会が狭すぎることで、解決策は逃げ場をつくることだ。

子どもが小学校にあがると、昼休みにいっしょに鬼ごっこをしていたグループと反りが合わなくなり、ひとりで図書室で借りた本を読んで過ごしていると言い出したのでちょっと心配したが、「合わないのなら無理してまで一緒に遊ばなくていいよ。ひとりで好きなことをしてもいいし、他に遊びたい子ができたら遊べばいいよ」と励ました。

2年生になって、学童保育を卒業したことで、帰る方向が同じ近所の子ども何人かと仲良くなって、放課後や休日によく一緒に遊ぶようになった。
最近では昼休みも、新しいグループ(彼らはそれを「軍団」と呼ぶ)に混ざって過ごしているようだ。

「合わない人間ともうまく共存することを学ぶのが学校だ」というひともいるだろうが、大人でも職場にひとりでも気に入らない人間がいればかなりのストレスになるし、子どもは自分の意思で(何年にも渡って)そこから逃れることができないのだ。
そんなものをただひたすら我慢することになんの学びがあるだろう?

私自身も長かった学生生活において、当然クラスにひとりかふたりくらいは常に嫌なやつ(あるいはグループ自体)がいて、自分から関わらないことで負担を軽減しようとしてきたが、その距離をわざわざ詰めてくるようなやつが必ずいる(たいてい自分に自信がなく、他人を貶めることで自尊心を保つタイプ)。そういうのが一番やっかいだった。

小学校高学年では担任含めクラス全員が敵のような状況になりかなりきつかったが、中学高校は物理部や数学部の部室、時には理解ある生物教師の研究室が居心地のいい逃げ場となり、気のおけない友人もできたので、ずいぶん助けられた。

これから子どもたちがそういう環境下で育っていくことを思うと、少々気が重いわけだが、もしも子どもがくだらない嫌がらせを受けたり、使い走りのようなことをさせられていたら、いつでも学校に乗り込んでいってでもそいつを捕まえて謝らせるつもりだ(子どものためならいくらでも大人気ないバカ親になる)。

そして、そんなくだらない連中とつるまなくても孤独を感じることなどないように、べつの居場所をいくらでもつくってやる。つくりかたも教えてやる。

うちの子だけでなく、近所や知り合いでそういう子がいたら、「逃げ場」をいっしょになってつくり、くだらない人間と付き合わないことは、恥ずべき「逃げ」ではないし、そんなものと付き合う暇があったら、自分の好きなことをたくさんやって、好きな人間を思いっきり好きになれるように、手助けをしてあげようと思う。
こんな悲しいことが絶対起きないように、いまからもう準備している。

いつか本当に大切な人を守るために戦うべきときが必ずくる。
生きて、そのために、その勇気はぜひともとっておいてほしい。

「この戦いは無意味だからね。生き延びるのが先決だ」(ヤン・ウェンリー)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?