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【映画鑑賞】今月のベストムービーは「対峙」(2023年11月:10本)

今月も10本映画を観ました。流れゆく日々の中で10本映画を観ると決めて実行するだけでも結構大変なものです。4月くらいから体癖論を学び始めた事や身体の事を学ぶ事が映画を観る楽しさを加速させました。

ただもっとリアルな人にも出会って行きたいなあとやっと思えるようにもなりました。
人に興味がある。人間知にもっと深く辿り着きたい。そう思えたのは今年観た110本もの映画のお陰かもしれません。闘病の心のリハビリにこの時間は必要だったのかもしれません。

来年は少し観る本数は下げるけどそれでも映画を観るという趣味は生涯続けていきたいなと思えます。

【第1位】対峙(2023年 アメリカ)

価値ある社会派ムービー。

銃乱射事件の加害者の両親と被害者の両親がとある田舎の教会で「対峙」し合うという「修復的司法」を描いたフラン・クランツによる映画。

声を上げるのは大切。被害者の両親も加害者の両親も闇を抱えている。被害者の両親が加害者の両親に「何とかならなかったのか」と詰り、少しでも冷静な態度で対応すると「その冷たい態度は何だ」と詰め寄る。

加害者の両親もどうしようも無かったのだと反論し、何をすれば良いのだとぶち撒ける。大切なのはコミュニケーションなのだとつくづく思う。コミュニケーションとはしばしば事実関係や情報の交換だと勘違いされる。

大切なのはその場にいて言葉にならない言葉を共有し合う事。それは感情と言っても良いかもしれない。それは当事者どおしで同じ忌わしい事件をこれほどまでに反芻し共有し合ったものでしか成せないものもあるのだろう。当事者だからこそ憎しみや後ろめたさを超えて「その人の話をその人の物として聞けるのだろう」。被害者と加害者の息子がどんな息子だったかをお互いが語り聞く。そこには数字や言葉に表しきれない価値があるように見えた。

対話という可能性を描いた秀作ではないか。

【第2位】セールス・ガールの考現学(2023年 モンゴル)

映画館で見逃してずっと気になっていたモンゴル映画。内モンゴルに馬に毎日乗るだけの1週間の旅に出て早10年超。Unextで観れるようになっていた。ナイス、Unext。

結論から言うと思ってたより10倍は良かった!

最初の始まりがバナナの皮で女子大生が滑って骨折するというこの上なく昭和のドリフのような陳腐な始まりだったがその後は随所にモンゴル映画ならでは(?)のオリジナリティがあった。

映画はひょんな事からアダルトショップで働く事になった真面目な女子大生のサロールとオーナーで年増のカティアとの交流が中心である。「考現学」というのはまさに絶妙な映画のタイトルでサロールはカティアとの交流、アダルトショップでの仕事を外への緩やかな交流により「内に閉じていたものが開いていく」様を描いている。

生は性で色なんだ、というのが映画の結論のように受け取った。

ふと思い出した事がある。ステージ4の癌に罹患して悪寒でガタガタ言ってる時に一応報告したほうが良いなと思って仲間内の飲み会に出席した事がある。その時に「良いチャンスやから看護師さん口説かはったら良いねん」みたいな事を言われて耳を疑った事がある。生がピンチな時に性がチャンスになる訳ないじゃろ。性と生と切り離して考える事自体不健康なんだと感じる。

この作品サロールのヌードはあるものの思っていたほど性行為のシーンもほぼない。この映画は何かドラマや事件が起こる訳じゃない。人生についてシンプルに描いた作品だ。あえて監督は性=性行為という固定観念に捉われないように描いている。セックスだけが性じゃないんだ。

サロールは絵を描くのが好きだが目的もなく親に言われるがまま原子力工学を真面目に学んでいる。ダークな色合いの服を着てヘッドホンを常にかけて内に籠った真面目な女子大生だ。前半サロールがお風呂に目を閉じて入っているヌードは生のないダッチワイフに見える。サロールがカティアに「本当に面白い人ね」と言った言葉に「貴方が退屈なのよ」と返す。彼女の生も性も内に押し込められている。カティアの言うように「視覚、聴覚なんか曖昧なもの、感情を中に押し殺さないが大切なんだ」と言う事を色々な角度から押し付けがましくもなく説いていく。サロールがカティアの人生を批判するシーンがあるがそれを黙って聞くカティアの佇まいが最高だった。カティアにとって人生は生と死でしかない。そしてカティアはそんなに遠くない死についての恐れも隠さない。生を輝かせる事の大切さを説く。そして偉人達の性癖を例に生と性が結びついている事を暗示する。

「苦しみがあるから幸せがある事を理解する」
→陰と陽、光と波、この世にあるもの全て双極なり
「若い時は意味を求めて本を読む、けれど私くらいの年齢になると真実を求めるのよ」
→ノウハウではなく原理原則を求めるようになる。これは解るよ、カティア。
「若すぎる成功は若さを犠牲にする」
「好きな事をすれば心は裕福になる」

サロールが男友達を誘って初体験に挑む。それは不発に終わるものの両親にバレてしまう。両親との気まずい雰囲気のままサロールが言い出したのは美術学校に入り直す事だった。生と性は結びついているのだ、分けて取り扱う事は出来なかったのだと監督は言いたかったに違いない。

またこの映画は「色」についても拘りを持っている。コロコロ変わるサロールの内面を暗示するかのように赤、紫、青、モノトーンと変わっていく。カローラの着ている服も徐々に変わっていき最後カティアの家を訪ねる場面では別人のような生(性)が芽吹いた服装佇まいに変わる。

道中大草原でイチャイチャするカティアとサロールがズームアウトしてギターを持って歌う男が前触れもなく出てくるのもこの映画ならでの斬新さで良かった。

【第3位】正欲(2023年 日本)

「命の形が違う」

ガッキーが佐々木の家で言った事が全てだと思う。殆どの人間は自分の感受性や投影、延長線上でしか物を考える事が出来ない。桐生や佐々木のような4種体癖はこの世界ではなえがしろにされがちだ。結婚式や学園祭はパリピー達には天国だがそう感じない人もいるのだ。

稲垣吾郎演じる検事のお父さんは滑稽なまでに社会性を重んじる。他人を家に上げない、子供のyoutubeを否定、水フェチを有り得ないと鼻で笑う。子供の風船を膨らませないあたりも何かのメタファーで面白かった。吾郎検事からは身体性や動物性の欠如が感じられる。

だが最初のガッキーと稲垣吾郎の邂逅ではお互いにとても好印象を持っている事が解る。吾郎検事は悪い人ではなくある意味真っ当な人だ。だが吾郎検事の言う事は社会性を重んじる1種的世界観から観た視点を超えられない故に水フェチやvoutuberは彼にとっては脅威でしかない。

大学生でクランプというダンスを踊る大也の言う「多様性という言葉を利用している」というのは自分にとって1番頷ける。人間の動物としての命の形は社会性に今存在する多様性という言葉に取って代わられた瞬間に別物で欺瞞になる。

自分もストリートダンスについては思い入れがある。最初始めたのは社会人だったので「キツイ」と陰口を叩かれていたのを今も古傷として思い出す。社会の中でこれだけストリートダンスが認知された今、そういう陰口を叩く人は居ないだろう。だがどうしようもない衝動や情熱がそれが普通でなく社会的に認知されないものが虐げられるものと感じた原体験は消せようも無い。最後新垣結衣が稲垣吾郎検事に見せた静かなメラメラとした深い怒りが全てを物語っている。「正欲」とは「性欲」とは「生欲」とは一体何なのだろうか。

それにしてもガッキーがこのような地味な閉ざされた人間を演じれるのが驚き、隠しきれない美形とスタイルの良さはあるものの途中まであのガッキーとは気づかなかったのだから。

【第4位】ザ・キラー(2023年 アメリカ)

連休中に映画館で観るか迷った映画でそれがいきなりnetflixに降りてきていた。これだからnetflixは侮れ無い。世の中の表面に華々しく出てくる5種的世界とパラレルに脈々と存在する2種的存在がある。

ドミニク共和国に隠れ家をもつ殺し屋はある依頼で致命的なミスをする。隠れ家に戻ると誰かに荒らされた模様。そこに来た綿棒のような女と野獣のような男を復讐の為に淡々と殺していくという話。目立ったハプニングも驚きも存在せず殺し屋がルーティンワークのように人を殺していくだけの映画。だが退屈ではない。

この殺し屋は最後まで名前もわからない。目立た無いように身を潜める。買い物はamazon、待機中はヨガをして脈拍数をsmartwatchで管理する。ザスミスを聴きながら常に繰り返し繰り返し自分に言い聞かせる。

「対価に見合う戦いだけ挑め。感情移入は弱みを見せる。予測せよ。即興を避けろ。」

殺し屋は007みたいな5種的世界にあるのではなく日本人の武士道やサラリーマン的世界の2種的世界にあるのかもしれない。だがデビットフィンチャーの描く2種的世界は会社や上司の命令に従うのではなく自分の内の掟に従っている。

【第5位】グランツーリスモ(2023年 アメリカ)

シンプルなアメリカンドリームのお話。

もともとレース界は漫画「カペタ」を読むまでもなくお金持ちのスポーツである。グランツーリスモというカーレースゲーマーのトップクラスが実レースに出て結果を出していくというおとぎ話のような実話に基づく話。

こういうオタクがこの世に出てくるケースは最強よく見る。Mリーグに出てくるトップ麻雀打ちはもともと麻雀のゲーマーだったりする。豊かな家庭に生まれたゲーマージャンは起きている間ゲームをしているゲーマー。引きこもり寸前の彼が世界中を飛び回り、命を賭けた爆発的なスピードの中で過ごす事になる。

まさにこれこそザ・5種的世界。

だがこのグランツーリスモチームの仕掛け人はオーランドブルーム演じる日産のマーケティングダニーは6種っぽいし(前例のない事をするのは6種なのかもしれない)、鬼教官ジャックは8種っぽい。昔村上龍がF1レースに興味がない人は「感性がおばさんだ」と言っていた。だがこの爆発的な拝金世界に目眩がしてしまう自分は5種的世界に憧れた9種体癖なのだろうか。

【第6位】共謀家族(2019年 中国)

「映画を1000本も見れば分からない事はない」これが中国からタイに移民として移り住み逞しく情や人間関係を大切にして生きて来た主人公リーの言葉だ。自分はレビューですら300しか言ってないが人間知を得るという意味では映画が最適だ。

この映画は色々な要素を含んでいる。まず中国映画であるという事。中国内では警察を批判しているとも取られないこのような映画はタイを舞台にしてしか撮れなかっただろう。またこの映画がリメイクであるとともに色々な映画のオマージュである。映画讃歌の映画だ。

この映画はシリアスでエモくもあるシーンも多いのだが劇画タッチであるからか時にコミカルにも感じる。ただ性犯罪のシーンが一瞬だけど映るのは辛いな。特に前半30分がキツイと感じたのだ。

【第7位】バービー(2023年 アメリカ)

マーゴットロビーのバービー姿が似合い過ぎ、可愛すぎる。女優だけでなくプロデューサーの顔を持つマーゴットロビーは才色兼備過ぎる。

「ストーリー・オブ・マイライフ」のグレタ・カーヴィグ監督なんですけど結構変な作品だと思う。北米では大ヒットを飛ばしており女性監督作品としては歴代最高収益を上げているらしい。バービー界がバービーを買った人間界がパラレルに存在しそれが相互作用している。何故かバービー界と人間界を国境を行き来するがごとくあっさり乗り越えていけるというぶっ飛んだ映画。

男性蔑視、女性蔑視とか色々な立場の人はこれを観て自分を投影する筈だから人によってはしんどい世界観だ。重役にニコニコしながらビールを注いだり対男性の接客業をしている人には男性社会となったバービー界を観てて辛くなるだろう。

私は男子なのでバービー人形そのものには思い入れはないがバービー人形から歴史を観るとフェミニズムの歴史でもある。バービー人形は着せ替え人形だが色々な職業や人種や体型が導入されている。だがバービー人形製作のマテル社には重役に女子は居ない。バービーランドからマーゴットロビーが人間界に来るとティーンの娘に「バービー人形は消費主義だし反フェミニズムだし」とケチョンケチョンに批判されている。

バービー界でケンが革命を起こしやりたい放題の事をする訳だが空きを突かれてバービーに乗っ取り返されられる。その時に突かれた弱点が「株の話に夢中になる」「争いが好き」「ゴッドファーザーの話を語りがち」「ギターで女の子にラブソングを語りがち」という何一つ個人としてピンと来なかったが何故か世の中ではあるらしい。

個人的にざっくりした主観だが文明て怖いね、という事。文明はもともと少数の思いが多数に展開し一つに撫で切りにしていく怖さがある。その文明に巻き込まれた瞬間にケンらしさ、バービーらしさを失っていくものだ。

この映画は多方面からの風刺でコメディなのだがこの映画に反応してしまう人は表面的な言葉に引っ張られる傾向があるのではとも思う。この映画は男性蔑視でも女性蔑視でも男性讃歌でも女性讃歌でもない。カオスだが人間讃歌の映画に思える。この映画の最後の方に流れるビリー・アイリッシュの「What was I made for」が全てを洗い流してくれるように流れる。その時に何となくそう感じた。

【第8位】バレリーナ(2023年 韓国)

チョン・ジョンソ魅力全開。ちょっと白眼が多いキリッとした強めの顔立ちで正統派美人ではないのだけど癖になる顔立ちというか。

悪役の役者が男の目から見てイケメン、カッコよ過ぎる。そのイメケンがグロい悪役をするのが韓国映画ならではか。最後さっさと殺せば良いのに海辺に連れて行って火炎防災器で全ての焼き尽くすの好き過ぎる。あとバレリーナはあんまり関係ない。

【第9位】Bones & All(2023年 イタリア/アメリカ)

ティモシー・シャロメとテイラー・ラッセルとのアメリカカントリーサイドでのカニバリズムロマンス。

主役の2人の美しさは中性的で儚さや脆さ、淡さを持っている。20代そこそこの男女にしかない脆さを持った美しさはずっと見ていられる。若いエネルギーや将来がある10代、20代は年長者から見れば羨ましくてしょうがない状態だが当事者から見れば苦しい部分もある。生まれ持って抑え難い異常な衝動を持つ2人は「この世に自分に居場所なんてない。愛される資格なんてない」と感じている。

マイノリティな感性を持つ若者の1人であった自分はそう言った気持ちを強く持っていたと記憶している。監督が言うようにこの映画では「カニバリズムはメタファーでしかない」のだ。その疎外感からどうやって抜け出したのか思い出せないくらいだがその過去と向き合い対話する事でまた何か生まれてくるものがあるのだろう。

【第10位】種まく旅人(2016年 日本)

はい淡路島予習の為に観ました。

栗山千明がハマってないなぁ。栗山千明て「キルビル」とかに出ていて世界のアジアンビューティな訳だけどこういう役柄にはハマらん気がする。淡路島は島国である日本の縮図である、というのには納得した。桐谷健太は良かった。少し狂気があって泥臭さも似合うイケメンで彼のおかげで少しマシだった。

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