少年漫画に想いを馳せてみる

少し前に鬼滅の刃について、たくさんの少年漫画(だけじゃない)のオマージュが素晴らしいと書きました。

そのおかげで、自分が子どもの頃に読んだ漫画、アニメを思い出したのだけれど、少年漫画って、ノーブレス・オブ・リージュ、利他の重要性、困難を仲間と乗り越えることを教える道場みたいな存在なのではないかと思うに至りました。

#原哲夫 先生、#武論尊 先生の北斗の拳を例に出します。

北斗の拳は、一人の女性を巡った壮大な兄弟喧嘩、親友との愛憎劇という一面がある一方で、他者を救うことが常に描かれています。

まず、南斗白鷺拳のシュウとのエピソード。ケンシロウは、幼少期の南斗聖拳との試合でシュウとの戦いに敗れ、掟により殺されそうになりますが、シュウは戦いの中で未来の希望を感じたケンシロウを救うため、迷うことなく自身の両眼を潰します。(ちなみに南斗白鷺拳は「仁星」を司ります。)

時は流れ、ある土地で、南斗聖拳最強の南斗鳳凰拳の使い手、サウザーが独裁政治により権力・武力を強化していましたが、シュウが圧政に対するレジスタンス(反抗軍)のリーダーとして戦っていました。そこにケンシロウが現れサウザーと戦いますが敗れます。瀕死のケンシロウを、サウザーの圧政と戦うレジスタンスのリーダーであるシュウが救いました。

ケンシロウの療養中、サウザーに人質を取られたシュウは戦いに敗れ処刑されますが、そこにケンシロウが登場、シュウは最後に視力を取り戻し、大きくなったケンシロウの姿を見て息を引き取りました(入力しながら思い出し泣き涙)。

直後、ケンシロウはサウザーと再び闘い勝利します。

ちなみにサウザーは、「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ」と、徹底的に「愛情」を拒否します。サウザーは、南斗鳳凰拳の師オウガイに愛を持って育てられましたが、鳳凰拳の伝承の最終試験が覆面をしたオウガイとの闘いであり、師を殺めてしまったことがトラウマになっていました。ケンシロウとの闘いの後、師から受けた「ぬくもり」を思い出し、師の像を抱いて(トラウマを克服して)息を引き取りました。

さて、長くなりましたが、シュウが視力を失って幼いケンシロウの命を救ったのはキリストのような無償の愛といえますし、大人になり北斗神拳伝承者となったケンシロウがシュウの愛に応え、最後はサウザーの愛を取り戻したわけです。 #愛をとりもどせ

あえて「愛」と書きましたが、僕は「人間性」のほうがしっくりきます。拳法を極めるために試合を行うのですが、子どもの命を奪うことって人間としておかしくね?と、シュウは犠牲をはらって取り戻し、最終的にはサウザーの圧政に苦しんだ人々をケンシロウが救い、サウザー本人すら救ったわけです。

少し論理が飛躍しますが、高度経済成長期に生まれたこの作品に、武論尊先生が、資本主義の悪いところばかりに目を向けず、人間性(愛)をとりもどせというメッセージがあるような気がします。例えばクラスでいじめの問題が起きた時に、「ケンシロウはこんなだせぇことしないよな・・・」と悩んだ人も多かったと思いますが、作者は狙っていたのかもな、と。

北斗の拳を例に挙げましたが、ジョジョにも同様の思想を感じました。第1部でジョジョの師匠ツェペリが言います。

人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!いくら強くてもこいつら屍生人(ゾンビ)は「勇気」を知らん!

荒木先生自身、「神様や機械ではなく、人間こそが一番。それがジョジョの根底にある考え方なんです」とコミックスで書かれています。

(参考URL)https://www.arupakano.com/ningensanka

これは、資本主義で利益を生み出すための「歯車」であることを求められた高度経済成長期の社会に、人間性の重視という逆張りの意見を伝えていたのかぁ、なんつって。

ということで、少年漫画は、人間性の重要性を、様々な作者が切り口を変えながら子どもたちに伝えていく「道場」なんじゃないかと思った今日この頃でありました。

漫画だけなく、音楽では例えば尾崎豊、BOØWYにも通ずるものが・・・って今日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?