霧と手紙と -Miglė ir Laiška-

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【注意】以降の展開には、暴力的な描写を含む場合があります。

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 ぎゃりん、と金物を剪断する甲高い音と共に、鋭利なブレードが重量鉄骨の半ばまで食い込む。
 建設中のビルヂングの頂上、仮組された鉄骨の上で、脚を縮めた白い少女の足先、ほんの僅かの距離に、暗殺ドローンが突き刺さっていた。
 少女の咄嗟の対空射撃により制御を失ったドローンは、もがくように四発のローターを回し続けている。
「……あぶなかった、なぁ」
 ふんわりと呟く少女の腰から延びるスリングの先には、その背丈を優に超える長大さの対戦車ライフルが揺れている。
 最後の射撃、上方に向けて一撃を見舞った際、霧による濃密な湿り気がその手元を狂わせ、依託した鉄骨からも滑った対戦車ライフルがその手から離れ、ぶら下がった状態になっていた。
 鉄骨に腕を沿わせて転落を防ぎつつ、霧に煙った空をぼうっと見上げながら、少女は今後のことに頭を巡らせる。
 用意した一〇発の二〇ミリ高速徹甲弾は既に撃ち尽くし、なおかつドローンで位置を特定されている。
 じきにこの場に相手の即応部隊が到着して、包囲される。
 ポーチに収めたサイドアームだけでは、恐らく対応し切れたものではない。
 つまり、詰んでいる。
「うぅん……と」
 そうして暫くぐるぐると思考を回転させるうちに、不意に、ぎしりと音を立てて鉄骨が傾く。
 ドローンの末期の足掻きが、ブレードを鉄骨にとって致命的な位置まで押し込んでいた。
 少女が声を上げる間もなく、その身を預けた鉄骨は、あっけなく中途から破断した。
「――――――」
 重力に引かれ、鉄骨と共に為すすべなく地上に墜ちていく、かに見えた少女は、一階層下の鉄骨を片手で掴んで、その身と対戦車ライフルをいとも簡単に支えた。
 少女の白く余りにも長い髪と、背負った黒い大袋が風にはためく間に、二片の大型鉄骨とドローンは落下を開始する。
 工事途中の、剥き出しの鉄骨のあちらこちらに激突して、耳をつんざく音を鳴らしながら墜落してゆく。
 最後に、どん、とコンクリートが敷かれた地面に鉄骨らが落ちる音がして、人々が騒めく気配が伝わる。
 地上の混乱をよそに、少女は片手でぶら下がった姿勢のまま、未だこの先の行動に思考を割いていた。
 そうして幾許か秒針が進んだ時、少女は、よし、と一声上げて、スリングの先にぶら下がった対戦車ライフルを、思い切り上に振り上げた。
 少女の体重よりなお重い対戦車ライフルが宙を舞い、鉄骨をまたいで反対側に飛んでいく。
 鉄骨を軸に重量の均衡が生まれ、少女の姿勢が安定する。
 更に一息力を込めて、少女は鉄骨の上に身体を持ち上げた。
「よし、と」
 さらに素早くスリングを手繰って対戦車ライフルを鉄骨の上に引き上げて、手際よく銃身と機関部、そして反動制退部とストックとに分解していく。
 背負っていた大袋に分解した部品を押し込み、サイドポーチから消音器付きの拳銃を取り出すと、先ほどまで対戦車ライフルを取り付けていたスリングの長さを調整して装着する。
 ずっしりと重い袋を背負い込み、思い出したかのように撥ね上げていた眼帯を右目に戻しながら、少女は下方への移動を始めた。
 ジャングルジムで遊ぶかのように、鉄骨から鉄骨へ、軽やかに飛び、跳ね、掴み、また飛んでいく。
 そうして数十メートルを駆け下りたところで、少女は唐突に方向転換する。
「んっ――」
 虚空にふありと身を躍らせて、少女の姿が濃霧の中に掻き消える。
 そう見えた瞬間、少女は隣のビルヂングの屋上にすたりと着地した。
 誰にともなく、美しい着地姿勢を見せびらかすように諸手を上げ、弾けるような笑顔を浮かべた少女は、今度は疾走を始める。
 屋上を疾駆し、跳ね飛んで、次のビルヂングへ。
 時折高低を変え、よじ登り、飛び降りながら、次々と建物を飛び移り、猛スピードで射撃現場から離れてゆく。
 ほとんど即興のルートを取りながらも、その速度は尋常ではなく、速い。
 しばらくそうやって走り続けた後に、少女は適当な路地裏を見付けると、三角飛びの要領でビルヂング同士の壁を蹴って、ようやく地面へと降り立った。
「ふぅー……」
 軽く息を整えた少女が、ふと視線を感じて見遣ると、商店の裏口から出たらしい咥え煙草の老人が、ぽかんとした表情で少女の方を見詰めていた。
 その顔に浮かぶのは、困惑と、心配の情。
「お嬢ちゃ――」
 老人が言い終わる前に、ぱすり、ぱすりと消音された銃声が鳴り、その胸と頭に銃創が穿たれる。
「ごめんねぇ」
 そう言い残し、老人の体がアスファルトに倒れ伏すより早く、少女は再度疾走を開始する。
 霧に沈む路地裏を縫い、速く、速く、少女は突風のように駆け抜けていった。
 
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 中天にあった太陽はとうに傾き、相変わらず霧がかった空気が夕焼けの色に染まる時分。
 市街地の外れに佇む、閉業中の看板が掛けられた二階建てのカフェテリアの前に、白い少女が訪れていた。
 辺りを見渡し、人影が無いことを確認して、少女はディンプルキーを取り出すと、慣れた仕草で正面扉の鍵を開けた。
 エントランス空間に入り、後ろ手に鍵を閉じながら、据え付けられたインターホンに向けて言葉を紡ぐ。
「ただいまぁ、『ライシュカ』」
 間延びした声に応じて、内扉が開かれ、中性的な人物が顔を出す。
「おかえり、『ミグレィ』。帰って来るのに、ずいぶん苦戦したみたいだね」
 柔和な口調で言いながら、『ライシュカ』と呼び掛けられた人物は、ハンカチを差し出す。
 受け取った少女が首を傾げるのに苦笑を向けながら、ライシュカは自身の口元を指差した。
「口元、また、血が出ているよ」
 言われた少女――ミグレィが口元にハンカチを当てると、べったりと血が染み込んだ。
 ミグレィが視線を落とすと、服にも口から垂れたであろう血痕が、ぽつりぽつりと斑点となって残っていた。
「うわぁ、結構出てる……これ、血の跡を辿られたりしないかなぁ」
「流石に大丈夫だと思うけど、今度から気を付けてね、ミグレィ」
 言いながら、ライシュカはミグレィが背負った大袋を受け取る。
 少しよろめきながらも、大袋をカウンターに運び、中身を検める。
 銃身のライフリングを確認しながら、ライシュカは首を傾げながら言う。
「銃身がもう、交換時期かな。立て続けに一〇発撃ったのが効いてるみたいだ。それ以外は、まだ大丈夫そう」
「ごめんね、ライシュカ。一発で仕留めたと思ったのに……第一標的にも、第二標的にも逃げられちゃった。任務、失敗だねぇ」
 ミグレィはしょげたように言いながら、血と油に汚れた上衣を脱ぎ捨てる。
 露わになった素肌は白く澄んで、しかし血の気の引いた青さを湛えていた。
「失敗ではないさ。第三標的を一人、仕留めたわけだし、今回のことで“次”への対応策も練りやすくなった。おいで、髪を梳いてあげる。寝癖と湿気でくしゃくしゃになってるよ」
 ライシュカは脱ぎ捨てられた上衣を籠に放り込みながら、ミグレィを椅子に誘う。
 ミグレィは大人しく従い、椅子にちょこんと腰掛けて、はたと気付いたように眼帯に手を掛け、外した。
 眼帯の下、右目に色濃く、深く刻まれた、十字状の模様が異彩を放つ。
 よく見れば、左目にも似たような模様が刻まれているが、こちらは薄く、遠目にはそれと分からない。
 そんな異彩の瞳をふっと閉じて、ミグレィはせがむように呼び掛ける。
「ライシュカー、はやくー」
「はいはい、分かったよ」
 ライシュカは膝立ちになると、繊細な歯の鼈甲製の櫛を取り出すと、ミグレィの頭頂部から髪を梳かし始めた。
 ほつれもつれたくしゃくしゃの白髪が、優し気で丁寧な手付きで整えられてゆく。
 落ち着いた、静かな時間が流れてゆく。 
 接地しそうな程に長いミグレィの髪の、半分ほどまで梳かし終わった頃、安穏たる静けさを破ってみグレイは背後に向けて呼び掛ける。
「ねぇ、ライシュカ」
「なんだい、ミグレィ」
 手を止めないまま、ライシュカはしとりと答える。
「もう、あと、半年だねぇ」
 何気なく投げられた言葉に、ライシュカの手が止まる。
 半年。
 ミグレィに宣告された、タイムリミット。
 圧倒的な戦闘パフォーマンスと引き換えに、その躰すべての機能が破綻し尽くすその時が、刻一刻と迫っている。
 のんびりとした口調で、ミグレィはふわふわと言葉を流す。
「ライシュカはさぁ、とっても優秀だから、私がダメになっても、大丈夫だよねぇ」
「ミグレィ、それは……」
 酷く小さく、脆ささえ感じる、身長一三〇センチにも満たない背中を見やりつつ、ライシュカは思わず言葉に詰まる。
 最高の傑出作にして、最悪の失敗作。
 アンバランスの、極致。
『霧“ミグレィ”』の名を与えられた、相手にとっての不確定要素たりうる、戦場の霧。
 その白く稚い外見とは裏腹の、強烈な攻撃性能。
 そしてそれらをさらに裏返した、壮絶な脆弱さ。
 出力のピーキーさが、そのまま寿命の短さとなってミグレィの体を蝕んでいる。
 いつかは晴れて消える霧の如く、その名の通り、彼女の命は儚く、短い。
 あと、半年。
 ミグレィの肩を思わずかき抱きながら、ライシュカは言葉を絞り出す。
「自分はね、ミグレィ。最後まで……最期まで、ミグレィと一緒だから」
「――だめだよ、ライシュカ」
 優しく、美しい笑顔を浮かべて振り向いた、ミグレィの右目に宿ったレチクルが、ライシュカの瞳を貫く。
「ライシュカはぁ、この先もずっと、必要な人だから。私がいなくなっても、戦場を駆けずり回らないといけない。そういう約束、でしょぉ、『手紙“ライシュカ”』」
 そういう約束。
 そういう約束、そのはずだった。
 国家勢力から一線を画する、独立独歩の精鋭傭兵組織たる、『製作所』。
 暗殺者を一から育て上げる、その『製作所』の成員として、『霧“ミグレィ”』と『手紙“ライシュカ”』は各々生を受け、傭兵として『製造』された。
自身も十字模様の瞳を持つ『手紙“ライシュカ”』に初めて与えられた任務は、『霧“ミグレィ”』の日常生活の補助と、定時報告を含む連絡通信。
 特級の身体能力と、同世代で最強格の十字模様の瞳を持つと評判の、同期生でもある『霧“ミグレィ”』。
それを補佐する、専属のオペレーション・コンダクタ。
 ひどく、退屈で、腑抜けた任務。
 『手紙“ライシュカ”』にとっては、そのはずだった。
 共に過ごし、戦いを補佐し、時には自らも前線に赴き、あるいは髪を梳り、コーヒーを淹れてやり、その活動を支援し続けた日々。
 一年と、半分。
 たった、それだけの年月が、思い出が、重く、余りにも重く、のしかかる。
 残りは、半年。
「わかってるよ、ミグレィ。自分は、大丈夫だよ」
 重みが言葉に乗らないように、ゆっくりと、しかし軽妙な調子で、ライシュカは言葉を紡ぐ。
「本当かなぁー。心配だなぁー」
 おどけたように笑いながら言って、ミグレィは前に向き直って髪を梳かされる姿勢に戻った。
 ライシュカはミグレィの肩からそっと手を離し、その髪を梳かす作業に集中する。
 それでも脳裏にこべりつく、いつか来る終焉を振り払うように。
 
―*―*―*―
 
 夜の帳が下りた頃、ミグレィを上階のベッドで休ませて、ライシュカは対戦車ライフルの調整作業に没頭していた。
 新品の銃身を組み付けて、細かな誤差を修正してゆく。
 何か、作業をしていなければ、悪い方向へと思考が流れる。
 そう思ってライシュカは、黙々と作業を進めていた。
 そうしているうちに、不意に固定電話のベルが鳴った。
 カフェテリアの業務用ではない、無骨な事務電話は、『製作所』との直通回線だ。
 ライシュカは二鳴動もしないうちに素早く受話器に手を伸ばし、通話を始める。
「――はい、こちらは『手紙“ライシュカ”』……ええ、第三標的である国防参事官の殺害には成功しました。第一標的の手の内は、今回である程度探れました……はい、理解しています。次回は、間違いなく……自分も、『霧“ミグレィ”』も、全力で任務に当たります……はい、失礼致します」
 事務的な遣り取りを終えて、ライシュカは中空に息を吐く。
「……くそったれ」
 理解している、ミグレィも、ライシュカ自身も、使い捨ての兵隊に過ぎないのだと。
 暗殺という『事業』を進める、駒でしかないと。
 頭を掻きむしりながら調整台を離れ、パソコンを立ち上げる。
 今回の任務の報告書をまとめながら、任務前に与えられた資料を再度チェックする。
 オペレーションコード、『魔女狩り』。
 第一標的として掲げられた“濁眼の魔女”少尉の、底の見えない漆黒の瞳が、画面の中から嘲るように見返してくる。
 長く見続ければその深淵に飲み込まれそうな、黒々とした瞳。
 ライシュカは敵愾の意志を込めて画面を睨みながら、ふっと無意味な行動に気付いて眉間を揉む。
 スクロールして、第二標的、“濁眼の魔女”に付けられた一等兵の写真に目を止める。
 ありきたりな直立姿勢、ありきたりな整えられた制服、ありきたりな、一兵士。
 しかしその瞳には、ミグレィと、そしてライシュカ自身とも同じように、薄っすらと十字状の模様が浮かんでいる。
 画面の中の写真に手を伸ばし、ライシュカは苦鳴のような言葉を零す。
「…………なんで、こうなったんだろうね」
 問い掛けるように画面に言葉を投げても、返って来るものは何もない。
 ライシュカは席を立ち、デキャンタからカップに冷め切ったコーヒーを注ぐ。
 啜る苦みがコーヒーに由来するものなのか、心中から湧き上がるものなのか、ライシュカには、どうしても分からなかった。
 通知音を鳴らしたパソコンを一瞥すると、ライシュカは苦みを一挙に飲み下す。
「……くそったれめ」
 吐いた悪態は夜の闇に沈んで、煌々と明かるパソコンが、次の『事業』の到来を告げて、無機質にただ佇んでいた。

 -了-

~はしがき~

 こちらはプロ野球人生シミュレーションブラウザゲーム、BBL(Baseball Life)界隈を含む、通称BHO界隈で2024年3月下旬に行われた、その名も『性癖ドラフト』なる 狂気の宴 企画の副産物となります。
 前回(2024年12月上旬)開催分のストーリーラインを引き継ぐ形で、今回(といっても三か月以上前ですが)の指名要素についても、SS形式でキャラクターのバックストーリーを仕立てることになりました。
 今回の指名要素は以下の通りです。

No.3 Missingの指名要素(再構成)

 前回指名と比べると、今回の方がどちらかというと私の『性癖』真正面の指名になっている、という話はさておいて、事後投票においては複票制になったとはいえ前回と同じ6票を頂きました。ぱちぱち。
 前回のようなSS形式の指名理由は来なかったので、今回分について元々はSSに起こすかどうかは微妙なラインでした。しかし某氏の友人氏(伝わらない)から頂いた指名に対する論評を読み、それに触発される形で、なおかつ前回分と世界観を共有する形式で話の種の育成を試み、『Call Sign:ABYSSAL-EYES』【2】~【5】を挟んで今回のSS、『霧と手紙と -Miglė ir Laiška-』というかたちでなんとか完成にこぎつけました。
 ちなみに、サブタイトルはリトアニア語でMiglė(霧)ir(と)Laiška(手紙)となっている、ハズです。Laiškaの方はともかく、Miglėはそのまま女性名として用いることのある語句らしいので、上手くハマったなという感じですね。

 さて、一連の『Call Sign:ABYSSAL-EYES』とセットで、壮大な物語の序章めいたつくりになっていますが、この物語の先行きは未定です。ここで終わりなのかもしれませんし、この先が独自に発展するかもしれませんし、また次の『性癖ドラフト』のキャラクターを取り込んで新たな展開があるのかもしれません。「次回作にご期待ください(未完)」というやつです。

 今回もまた、 狂気の宴 『性癖ドラフト』主宰の方、参加者の皆様、他の投票者の方々、校閲にご協力いただいた某氏にも、感謝の念を添えつつ。

 乱文乱筆にて失礼いたしました。ご高閲、誠にありがとうございました。

Missing/踪無影勿


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