冷たい熱帯魚の感想文

最近あまり映画にメッセージ性を求めなくなった。というわけでどんな映画も広い心で見るようになり、今回観た冷たい熱帯魚の鑑賞時は怒鳴り散らすでんでんの怖さに怯えながら画面を観続けるだけだったんだけど、直後に見たShall we ダンス?の幸福度をもってしても観賞後のしこりが残っている。結局通して3回見た。

村田が煽りまくる意図について
親父だと思って殴れ、アイコを犯せのあたりは父を殺し母を犯す、エディプス・コンプレックスをなぞっているようだけど、なぞったそれが何を意味しているのかについて考えてみた。

話の早い段階で社本に対し自身の被虐待歴をほのめかし「お前は小さい頃の俺にそっくりだ」などと口にする。クライマックスにあたるシーンで社本に滅多刺しにされたあとは誰にも届かない声で父親に謝罪し母親に助けを求めるあたり、生気を取り戻した社本とは反対にわかりやすく退行を始めている。社本を使ってかつての自分を育て直し、自分ができなかった父親殺しと母子姦淫を社本にさせるのが目的になっていった?

村田は58人殺しにおいて父親殺し云々をなんども追体験してきたのではないだろうか。思いを果たせないままじわじわとプレッシャーが募っていく中、かつての自分に似た社本が転がり込んできた(過去に手をかけた共犯者と同じことをしてるんだろうけど)。そこで社本をかつての父が自分にしたように追い詰め、自分を父親に寄せて殺させることで彼なりの呪縛から放たれようとした。そう思うと、劇中で捨てばちな態度で「どうせ死刑だ」などと言うわりに、警察を恐れて社本を怒鳴りつける矛盾も筋が通る。彼としては途中で逮捕されるわけにはいかなかった。

ただ、社本は村田の後継者として完璧に引き継いではいないように見えるのが気になる。アイコを犯すシーンも絶頂のタイミングでアイコをボールペンで刺すし、村田のとどめもアイコに任せている。引き継ぎは成し切れていないのでは?村田が継承されたとして話を進める。彼の服をまとい、父となった社本は娘と妻を暴力的に取り戻そうとする。村田として行動する社本はカタをつけにいくという表現を持って警察を呼びつけた。村田とアイコに全てを押し付け、社本は生き延びるはずだったのではないだろうか。なぜなら現時点で妻と娘は社本が何に関わったか知らずに生きている。見えなければ無かったのと同じという社守・村田に共通する考えがここで再び発露する。もし村田の企て通り、社本の手により成し遂げられていたのならば、社本はエディプス・コンプレックスを脱却し、最強になれるはずだった。だがそれは完遂されなかったがため、再び脱却に失敗した。

エディプス・コンプレックスの元になったオイディプスのように父を殺し、母を犯したあとは神の手により全てが明らかにされ、彼は目をえぐって追放されるのだけど、社本もそれに倣い自ら退場を選ぶことになる。

警察が妻と娘を連れてきてしまい、社本の所業を明らかにしてしまったせいで計画が崩れてしまった社本は妻を殺す。社本は終わらないエディプス・コンプレックスの連鎖を断ち切り、娘が大人になるよう託したのだろうか?そうだとすると娘一人で生きていく上で妻の存在は不要となるし先に殺してしまうのもわかる。

ラスト。娘に対して包丁で軽く突き、一人で生きていく覚悟を強要した後自殺する。この一連のシーンが本当にすごい。怖がる娘が子供に一瞬戻る瞬間が凄まじくてなんども見てしまった。地球をバックに引きで終わり。村田が劇中で言った「俺の考える地球はよ、ただの岩だ__丸くてつるつるした星なんかこの世にねえんだよ」を思い出す。子供を星に見立ててたけど、実のところただの岩だから、物事は見たいようにしか見えない。そんな子はこの世に存在しないということになる。救いがねえな〜。

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