2-27の話

夜の川辺を歩くのが好きだ。街灯の光も届かない川床は塗りつぶされたように黒く、混じり気のない暗闇が放つ無視できない力について考えてしまう。橋も渡り終えないうちに左足首が痛み出す。痛みは思考を中断させ、私を現実に引き戻す。足は痛いが、ここは立ち止まる場所ではない。街灯は私を容赦なく照らすし、車道に引かれた頼りない歩行者用のスペースで座り込むわけにもいかない。足が痛い。

もうすぐ学校へ行かなくなって1ヶ月が経つ。家族は何も言わず、普段通りに接してくれるのだが、各々が思う普段通りがかみ合わず、続かない会話が繰り返されるたびに居心地が悪そうな面持ちになる。かつてこの家に湛えられていた調和は完全に損なわれてしまった。私は何もすることができない。今までの私がどのように喋っていたのか、ふるまっていたのかがわからない。こんなに簡単にダメになってしまうのか。

せっかく不登校をモノにしたのに、今度は家にすら居たくないと思うようになってしまった。どこへ行っても、どこから帰ってきても逃げた事実がつきまとってくる。今はどうすることもできない。

川を抜け、山を越える。かつて行きつけだったコンビニが恋しい。あそこが一番立ち読みができるし、取り揃えているお菓子も好みに合っていた。それでも、こうして遠くまで歩けば知り合いと顔を合わせることもないし時間も潰れる。会うこともないだろう誰かを振り払うには物理的な距離と疲労が必要になる。疲れていれば不安にならなくてすむ。

今の行きつけのコンビニの利用客はせいぜいトラックドライバーか老人くらいで、誰も長居しないような場所にあるのに、なぜだかコンビニの前に飲食用のテーブルとベンチが置いてある。この前来たときは灰皿も追加されていた。誰かが環境を整えようとしている。

近づくほどに蛍光灯が目に刺さる。何の感情も喚起させない入店音が鳴り響いた。「いあわせ」とも「さーせ」ともつかない言葉と共に、店員はレジの奥からノソノソと出てきた。

「ごめんね、今日は肉まん切れちゃった」
いつの間にか、会計の際にお勧めされるホットフードを提案通り買っていたら、一言二言話しかけてくるようになった。どこにでもこういう店員はいるのだ。

「じゃあ、アメリカンドッグひとつ」

目に止まった製品名を口にしただけなのに、彼はどこか楽しそうにしている。

「ごめんね。夜も遅いし気をつけてね」

コンビニを出てすぐ袋からアメリカンドッグを取り出す。食べながら夜道を歩くと視覚と味覚を一度にいっぱいにすることができる。そうすると余計なことを考えなくてすむ。かつては夜道を歩くだけでワクワクしていたのに、時間が過ぎると共により新しい刺激を求めるようになってしまった。散歩にウォークマンが加わり、食べ物が加わり、次はどうなってしまうのだろう。

定まらない思いを不安に変えながらディスペンパックを操るも、ケチャップマスタードをこぼしてしまい、おまけにケチャップが付いたアメリカンドッグをフリースになすりつけてしまった。私はケチャップひとつまともにかけられない。口に咥えながらフリースを脱いでいると後ろから声が飛んできた。

「バックヤードにシミ取り用洗剤があるよ。来なよ」

醜態を見られていた恥ずかしさと、この会話が生み出すであろう可能性で頭がいっぱいになり、思わず脱ぎたてのフリースブルゾンを彼に差し出していた。差し出される手が少しでも遅ければ、そのまま逃げていただろう。私は咥えたアメリカンドッグをひと嚼みしたあと、なるべく飲み込まないよう咀嚼をしながら頭の中の引き出しをかたっぱしから開けていた。

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