3-8の話

長く続く無職生活のおかげですっかり宵っ張りになってしまった。引きずられるように起きる時間も先にずれていく。起床が朝と結びつかなくなり、日が出ていれば朝、起きた時間が朝になっていく。あと何日かすれば、また時の巡りが戻るだろう。私はそのあたりに来る夜の眠気が好きだ。小学生以来久しく感じていないような強烈な眠気になす術なく降伏する瞬間が好きだ。

無職になっても、週末は待ち遠しいものだ。むしろ働いていた頃よりも週末のありがたさが増している気がする。あの頃は日曜日になれば明くる日のことを考えて休んだ気になれなかったが、今は月曜日も休みだという気持ちで時間を支配することができる。連休の特別感を毎週末味わうことができる。素晴らしいとは思わないか。

3時を過ぎた頃、空腹を紛らわせに外に出た。コンビニでおでんをいくつか買い、街で一番大きい家の前を通る。Xの家だ。高校まで幼馴染だったXは最近街に帰ってきたと母が言っていた。2階の角部屋に明かりがついている。呼び出そうと思ったが、連絡手段が無いことを思い出した。いつの間にか連絡先を無くした友はXだけじゃない。こうして人間関係を狭めている自分の幼さを恨みながら踵を返すと向こうから歩いてくる男が目に入った。Xは私の姿を認めると、おぼつかない声で「よう」とだけ言った。

「久しぶり」と返す。久しぶりの再会を互いに喜びながらそのまま歩き出した。街へ帰ってきたこと、私が無職になったこと、連絡先がどこで途切れたのか。そんな風に数年分の空白を言葉で埋め、街を歩いた。道は山へ続き、山道へ入っていく。こんな風に時間を使うのは学生の頃以来だろうか。

すっかり温度が冷めたおでんを食べながら、久しぶりに動かした喉を癒す。部屋着のまま外に出たXにマフラーを渡し、私たちは山に足を踏み入れた。街の光が届かない。口数も減っていく。ライトの連続使用と寒さも相まって携帯の電池もたちまち減っていく。どちらかの足音が途切れる度。私たちは立ち止まり互いの顔をライトで照らして笑った。

30分もしないうちに頂上へつく。早朝登山に励む老人に場所を譲り、私たちは展望台の端から街を眺めた。少しばかりの霧も見える。冷えた空気が鼻の奥を刺激する。Xを見ると彼も鼻を赤くさせていた。「マイナス4度だって、やべえな」そう言いながら歯をカチカチ鳴らすXにコートを渡すと彼は素直に袖を通した。小さな声で「あったけー」と言うが、声は届かない。朝日が登る瞬間を私たちはマイナス4度の山頂で迎えた。光が届くや否や用は済んだとばかりに老人は山頂から去っていく。山頂に残された私たちは身体のうちから立ち上ってくる眠気の心地よさに目を瞬かせながらゆっくりと展望台を降りた。

充電が切れた携帯を手に連絡先が交換できないことを思い出すと、Xは家に上がっていくよう私を促した。両親は共に家を空けているという言葉を受け玄関をまたぐ。たしかに靴の数は少なく、廊下にうっすら埃も見えた。「あんまり見んなよ」そう言いながらXは風呂に入るからとリビングに私を通した。ソファーに座り目を閉じると私の肉体は強烈な眠気を眼前に差し出した。抗うことすらできないまま私は眠りについた。夢もなく真っ暗に塗りつぶされた眠りだった。そして時間が経ち、浮上していく感覚と共に目を開けると西日が差していた。体にかけられた毛布とXがそばにいないことを確認したのち、私は再び意識を底に沈めた。


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