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【物神崇拝と拘束展】について


6月5日
今日は待ちに待っていた【物神崇拝と拘束展】へ。
遠足を楽しみにする子供みたいに前日は鼓動が高鳴りなかなか寝付けず、眠剤を飲んでみたが夜中に何度も目覚める始末。
寝坊して予定を潰す訳には行かない、5分毎に鳴り響くアラームの暴力により予定時刻よりも少し遅めではあるが起床することが出来た。

さて、展示会場の駒込までは電車で1時間半程かかる。
退屈な移動時間を彩るのはクラシック音楽と
【マゾヒストたち 究極の変態18人の肖像】松沢呉一先生著 である。
本屋で偶然購入したこの小説(元々SMという世界に興味があったことと、表紙の女王様に一目惚れした)は、私に衝撃を与え、そして新たな世界への入口を開いてくれたような気がした。
想像や2次元の世界でしか触れてこなかったSMというモノが3次元にも存在するのだ、こんなにも強烈な変態(褒め言葉)が存在するのだ、興奮しないわけが無い。

そして今から【物神崇拝と拘束展】で実際にそのリアルな空気に触れることができるなんて、想像するだけで(いい意味で)鳥肌が立つ。
好奇心と不安とまるで対象的な感情が自分の中に渦巻いていたが、展示会場に向かう足取りはとても軽く感じる。
駒込駅南口から徒歩5分程で会場に到着した。

【アートにみるフェティシズムとディシプリン】ポスター

閑静な住宅街の1部にそっと現れた看板。
視線を奥の方に向けると、ガラスに映るのは圧倒的な威圧感。
「ああ、ココだ」と一瞬で理解し、恐る恐る受付で著名をして中に入る。

作品1つ1つが強烈な存在感と圧倒的エロスを醸し出している。
たしか、エロティシズムの語源はギリシア神話の愛の神エロースでだった気がする。西洋哲学で愛は『エロス』『フィーリア』『アガペー』の3区分に分けられる。その中でも『エロス』は最も自己中心的な神として知られているはず。
※オタク(YOIを履修していればここら辺の概念は恐らく詳しいだろう)
私は神話関係には明るくないのでこれ以上の記載は遠慮する。つまりエロスは原始的で自己中心的な愛の神ということである。(説明を省くな)

上記のような意味のわからない解説を交えて何を言いたかったのかというと、【エロティシズム】への情熱にダイレクトに触れたことで、SMという性癖における愛とは【女王様へ愛なのか】それとも【自己中心的な愛】なのか。愛とは、生死とは、SMとは…まさに迷宮入りである。ということ。

衝撃が強すぎるが故に思考停止状態になってしまった。
古いコメディ漫画やアニメを見るとデカいハンマーで脳天をぶん殴られるシーンがあるだろう。今ではパロディくらいでしか見られないあのシーン、私をはじめ経験した人間は(居たとしてもおそらく生存しては)いない為に想像することは難しいだろうが脳みそがとてつもない衝撃で揺れ動き、脳天から爪先まで激しい電流が駆け巡る感覚。
きっと今回の経験はそれに負けずとも劣らないだろう。

とてつもないエロスを感じる

さて、ここまで来てやっと【ディシプリン】に触れていこう。
簡単に説明すると【しつけ】という意味である。
※詳細はググってほしい。たしかドイツ語だった気もする。

SMという世界において非常に重要な役割である躾。
縄や鞭を用いるものから針や刃物まで使用するなどまさに様々である。日常生活では触れることの出来ない【しつけ】を痛々しいまで、しかし美しく描写している数々の写真作品、個人的に目を引いたのは左下の隙間から覗く太ももに青あざのある女性の写真である。

これは完全に個人的な性癖になるが、女性が痛々しい姿を晒していたり、または肉体破損されている描写がとても好きな私は完璧に写真の女性の虜になった。美しく長い脚に似合わない青あざ、しかし強い女を彷彿とさせる衣装にヒール。正直語彙力を皆無にして率直なオタク的口調で感想を述べるのであれば、
「まじで良き!分かりみが深すぎる…!尊すぎやば…!」である。そして拘束(緊縛の方が正しい?)され、車のトランクに入れられている女性まじで最高。そして語彙力の喪失。

【しつけ】とは一般教育を施すことではない。
もっと基礎的な、生活全般の部分を身につけさせることである。
特に子供の為に使われる言葉だが、人はしつけによって【やっていい事】と【やってはいけない事】を学ぶ。
最近では専らニュースやSNSで取り上げられることもあって暴力によるしつけは少なくなっているように思える。表面上ではの話だが。
(個人的には暴力によるしつけが常日頃行われることに関しては大反対だが命に関わるようであれば手を挙げるのは悪ではないと思っている)
↑のような考えは世間から見れば「お前も暴力を肯定するのか」と捉えられ批判の対象になるかもしれないが、どうだろう。
痛みによって与えられる教えは果たして悪だろうか。
痛い思いをしたくないから、命に関わるような危険なことはしてはいけない。そう根本に教え込むことによって子供の命を守れるのであれば致し方ないのではないか。

…と脱線しながら、大人に対する【しつけ】ってエロいな。など考える浅はかな脳の持ち主である私は、大の大人が痛みによって支配され、人によって支配されているという状況に酷く興奮するのだ。
変態さんたちは肉体的、精神的に女王様にしつけられ日常生活ではそれを隠しながら仕事のできるビジネスマン、良い上司、良き父親であるのだ。女性もそうだ。女王様であり、優しい姉御肌上司であり、優しいママだったりする。なんて日常、なんてエロス。

さて、いよいよエロティシズムからもディシプリンからも脱線し始めた。オタク特有の自分語りモードになってきたのでそろそろ話を締めくくるタイミングだろう。
実は、この記事をここまで書くのに3日掛かっている。
衝撃が強すぎたゆえに高ぶる感情を抑えながら書くのは、とても難しいのだ。締めくくりを書いている今でさえ、書ききれていない!!と心が喚いている。
そして実際全体の2割も満足に書けていない。
まだ触れていなかったが、会場で超奇跡的な出会いもしている。
この話については次回以降にゆっくり、じっくり、思い出に浸りながら詳しく書いていこうと思う。

※当記事の解釈は完全に個人的なものであり、作者様の意向に沿っているかは定かではありません。また、記載している言葉の意味に関しても当方の記憶での範囲になりますので間違っていたら申し訳ございません。一個人の感想ノートとしてお読み頂ければ幸いでございます。


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