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THの野球人生

来週から開催される春季東海地区大会(会場:三重県)が無観客開催となってしまいました。
高校野球のツイートもあまりできないため、今回は自己紹介を踏まえて私の野球人生を紹介したいと思います。
私は1997年駿東郡清水町出身の23歳です。
ここからは、野球歴について紹介いたします。

・2006年(小学校3年生)冬〜2009年
地元の清水町リトルメッツに入団。当時は野球には全く興味がなく、父親の勧めで野球を始めることに。チームのレギュラーになったのは、6年生のときで2番ライトでした。
今も昔も本当に不器用で、毎週土日は怒られて泣いていたことを思い出します。特に、怠慢プレーをすると父親から厳しい指導があり、中でも帰宅後の無限素振りが1番辛かったです。

・2010年(中学校1年生)〜2012年
中学時代は、進学した清水中学校の軟式野球部に入部しました。清水中学校は、町内の小学校のうち約2.5校が集まるため他の少年野球チームでプレーしてた選手とも一緒にプレーをすることとなります。ただ、当時の部活動は月曜日と土日の片方がオフという体制だったため本格的に野球に打ち込みたい選手たちはシニア(三島シニア、伊豆シニア等)やボーイズ(駿河マリンボーイズ)に流れていくこともありました。
当時は7番ライトというポジションでしたが、野球のことよりも遊ぶことばかりを考えていて野球のことはあまり考えていませんでした。
高校で野球を続けることも迷っていましたが、最後の大会での終わり方が非常に悔いが残る終わり方だったことから、この悔しさを高校野球で晴らそうと決心。高校で野球を続けることを決意しました。

・2013年(高校1年生)〜2015年
高校は地元の沼津工業高校に進学しました。
理由としては、勉強嫌いで普通科高校に行きたくなかったこと。出場機会があるだろうというところでした。
投手が少なかったことから、兼任で投手を始めることとなりました。
ところが、入学すると部内で色々な出来事があり一時期は部員3人で練習するようなこともありました。
1年秋にはセンターのレギュラー、2年夏には2番手投手というポジションを獲得しましたが、その後は自身の心の乱れや怪我で3年生の夏の最後の大会はベンチで終わりました。
小学校、中学時代は試合に出ていたため、初めて試合に出れない悔しさを味わいました。

・2016年〜現在
高校野球を引退した後は、知人の紹介で現在のクラブチームに入団しました。
現在は投手をメイン、その他様々なポジションに挑戦しており、チームでもメインのポジションを任されております。
野球人生のさまざまな経験から、現在は楽しんで野球ができる喜びを噛み締めながらプレーしています。

コロナ禍で、スポーツに対する見方も変わってしまう世の中です。スポーツを通じた成長は言葉ではあらわせない大きなものになると思います。
私自身も野球があってこその人生だと思っており、感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも、ツイートを見ていただいている皆様と野球がある日常に感謝をしながら活動していきたいと思います。

長い文章となりました。

ご覧いただきありがとうございました。


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