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ポスト真実 は相対主義の時代

 ポスト真実とは「世論の形成において、客観的な事実よりも感情や個人的な思い込みへの訴えかけのほうが影響力を発揮している状況」のことだ。

 「自明の事実」を自明ではないかのように見せるものというと、まず思い浮かべるのものは2chだ。私が2chを知った1999年ごろ、教科書に載っている歴史は嘘で真実はこうだったのだけど、大きな力が働いて誤った歴史が作りあげられてしまった。今こそ、本当の真実を広く知らしめていかなければいけない。そんな主張が並べられ、それを信じる人が現れ、また広めていく連鎖が起きていた。

 でもまだその頃はソースが2chというとバカにされる風潮が残っていたように思う。インターネットを使っている人もそこまでは多くなく、まだ「自明の事実」を自明だと言い切れる時代だったのかもしれない。ところがいまやSNSなどの情報テクノロジーは発展し多くの人が日常的に使いこなしている。これが、おびただしい数のポスト真実が生み出される背景となっている。事実を事実だと認められない人に「自明の事実」を自明だと証明しようと話し合ったところで対話は成立せず、不毛な議論となってしまう。そしてお互い「ブロック」しておしまいとなる。

 ここで昨日の記事にあげた写真に書かれた鷲田清一のことばをもう一度読み直してみる。そこには対話は

理解しあえるはずだという前提に立てば、理解しえずに終わったとき、「ともにいられる」場所は閉じられる。けれども、理解しえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。

 相対主義は、この「ともにいられる」場所を壊してしまった。「未来への大分岐」にはこう書かれている。

 こうした相対主義的な見方が蔓延したせいで、異なる文化的・社会的背景をもつ人々が、合理的な対話を行うための共通の土台を失ってしまいました。「ポスト真実」は相対主義の時代なのです。


今日の写真:2019年5月撮影 せんだいメディアテーク。もう少しいい写真を撮っておきたったと後悔。建築家、伊東豊雄の代表作品。いつか伊東豊雄についても書いてみたい。


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