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手と足を思い出せ

 子育ても一段落つき時間ができたので、最近興味がわいている心理学を通信制で学んでみようかと色々調べていたことがあった。大学時代はろくに勉強なんかせず、なんとか試験を潜り抜けてきただけの私なのに、この年になってもう一度、名ばかりではあるが大学生に戻って、まだなんとか頭と目が大丈夫なうちに学びなおしたいと本気で考えていたのだ。

 心理学を学びたいと思ったきっかけは、今の自分の仕事が大きく関わっている。この仕事を20年以上続けてきてわかったことは、科学だけではなく臨床知としてのあり方が重要で、そのためには臨床心理学を学ぶことが必要だということだった。そして思いを同じくする仲間たちとの研究会に参加したあとの懇親会で、その会を主催している大尊敬する方が帰ろうとしているところ思い切って質問してみた。「心理学を学びたいと思っているのですが、どうやって学べばいいのでしょうか」と。

 その方は、じっと私の方を見たまま沈黙していた。じっとまっすぐ見つめられ、私は「ああ、白髪が見つかる…」なんてことを心の中で後悔しつつ黙っていた。その間数秒だったのかもしれないけど、私には数十秒に感じた。次の瞬間、すっと力強く右手が差し出された。握手をしながらこう言われた。

「そう言ってくれたことがうれしい。そこまで考えてくれたことがうれしい。でも、まずは目の前の仕事に打ち込みなさい」

 正直、そのときはちょっと落胆した。いや、憧れの人と握手できてめちゃくちゃうれしかったけど、でも残念だった。あの数十秒間に、こいつは心理学を学ぶに値しないまだまだひよっこ、と思われたのだろうなと受け取ったからだ。まだ修行が足らないか。まあ、そうかもしれない。それでも食いついていきたいとそれからも自分なりにがんばってきた。何冊かの本は参考にするようにと教えてもらったので、それらを読みながら試行錯誤してきた。

 数日前に、久しぶりにそのうちの1冊で、その憧れの方ご自身が書かれた本を読み返してみた。その中に開高健「知的経験のすすめ」青春文庫から引用されている箇所をみつけ、ここで開高健とは意外な選択だなと興味をもち読んでみることにした。本の書き出しはこうだ。

 汝の一生をふりかえり、教育なるものの意義をその経験よりして考えよ。しかして何回にもわたって記述せよ。一回の枚数は四枚。連載は30回になってもよろし、40回になってもよろし。
開高健「知的経験のすすめ」青春文庫

 そのあと、なんだかんだと書きたくない理由が述べられて、でも編集者に押し切られてスタートするという流れだ。原稿用紙4枚分のエッセーには、開高健の生い立ちや戦時中のこと、戦後の苦しかった生活などが語られていて、味わい深いところが無きにしも非ず、といった感じだった。途中、読み疲れてふーっと一息。背表紙に目を落とした。

 頭だけで生きようとするからこの凝視の地獄は避けられないのです。手と足を忘れています。分析はあるけれど綜合がない。下降はいいけれど上昇がない。影を見ているけれど本体は忘れている。孔子のいうようにバクチでもいい。台所仕事でもいい。スポーツでもいい。畑仕事でもいい。手と足を思い出すことです。それを使うことです。
開高健「知的経験のすすめ」青春文庫

 ああ、やられたと思った。そして猛省した。

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