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#弓道007 射即人生

 No music,No life. ほどのポップなノリではない。
梅路見鸞、大平善蔵、阿波研造らが弓道の精神性を禅に重ね、その価値観のもとに作られた言葉だと思われる。おそらくは、般若心経の 色即是空 空即是色の韻を模したのであろう。

弓道教本では「改訂増補にあたって」の文書の一部として以下の記述がある。

この教本の目的の一つは弓道の修練が心身ともに日常生活につながることを念頭している。弓道は体育や健康のためばかりではなく、人生をより高く豊かにするものでなければならない。昔から射即生活とか、射即人生といわれてきたことを忘れてはならない。弓道が教えてくれる躾や慎み、和敬、克己、反省などの徳目を体得することが大切である。

弓道教本 第一巻 P.17

また、「弓道の二つの面」の項目にも以下の記述がある。

かっての弓界に「射即人生」とか「射即生活」ということばもあったし、また「射は立禅」だということばもできたことがある。こういうことばはみな、弓によってわれわれの生活をうるおし、弓によって悟りに達することを意味した言葉であった。これは、弓射によって人生を深くまた高く、ゆたかにすることの経験をいうのである。

弓道教本 第一巻 P.46

文脈から察するに、現代弓道にておいては、射即人生とまで傾倒することはないにしても、弓道の精神性、すなわち人格を磨いて、人生をより豊かなものにするという意識を忘れないように、といったニュアンスではなかろうかと思う。

なお「弓道の二つの面」の文書の一部に、以下の印象的な記述がある。

的に心をとらわれた人の射ほど醜いものはない。
およそわれわれの日常生活においても、そうしたことはしばしばある。

弓道教本 第一巻 P.45

射即人生なのであれば人生即射でもあり、
人生は弓道から学ぶことがたくさんあると思った。
それと同時に、弓道は人生を豊かにしてくれるライフワークでもある。
No kyudo,No life.


最後まで読んでくれてありがとうございます。
今後も弓道に関することを記事にしていきたいと思います。
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