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#弓道012 高木 棐

「弓道教本」第一巻には、射法選定委員として五先生の顔写真がある。
しかし、流派の個性を一切伏せている第一巻では、それら先生方の弓歴の情報すらないため一人ずつ紹介をする。

高木 棐(たかぎ たすく) 1893年-1964年

明治二十六年生。埼玉県南埼玉郡久喜町出身。洗石と号した。弓道範士・十段、昭和三十九年病歿、享年七十一。
大正元年以後第一高等学校並びに東京帝国大学医学部在学中、故本多利実翁につき尾州竹林派弓道を学び、大正六年翁の歿後嫡孫利時氏が宗家を継いで生弓会を起こすに及び、この流は本多流として世に認められるに至り、本多流宗家顧問として利時氏を扶け、同会の発展につくされ、昭和二十年利時氏歿後は宗家を預かり、同流の中心的存在としての重鎮であった。
なお在来の弓道に医学的科学的基礎研究をとり入れ、新正面を開かれたが、またこの間、昭和八年大日本武徳会より弓道教士を、終戦後弓道範士(全連時代)の称号を授与され、特に東京大学弓道部師範として学生指導の重責にあった。
生前は埼玉県医師会長、財団法人全日本弓道連盟副会長・審議会委員、全日本学生弓道連盟会長などの要職にあって弓道振興に尽力された功は大であった。

※主に「弓道教本」第二巻 五先生の弓歴 より引用


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