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A Copy of My Mind - 都会における貧困のさり気ない点描

あらすじ

ジャカルタの賑わいに飛び込むと決意して2年経った今、主人公のSariはSalon Yeloという美容室でフェイシャルを専任している。乗客がはみ出ているぐらいのバスで通勤しているサリは海賊版のDVD屋に寄るのが日記であって、彼女の薄暗い下宿の部屋でその日買ったばかりのものを早速観る。他の100人位の住民と共用している台所で作ったインスタントラーメンをすすりながら、DVDを見ているサリはある日クオリティが悪い字幕にムカついて、映画が終わるまで待たずにテレビを消した。

翌日、仕事帰りにいつものDVD屋に返品しに行った。ところが、動画の画質の問題じゃないから、返品できないと説明した店員は彼女に更に腹を立たせた。店員さんは字幕に問題があったら、見れないから、他のDVDに変えてほしいSariをたまたまいた海賊版のDVDの字幕作りをしているAlekという男性に出会わせた。Sariは彼女のDVDを変えてくれると思いきや、Alekはいい字幕欲しかったら、純正品を買え!とSariに逆ギレした。納得できないSariは早速店を出た。店を出るときSariがDVDを盗んでいるところを目撃したAlekは彼女を追いかけた。盗んだことに黙って欲しいなら、ついてきてとAlekは彼のところに来るようにSariを促した。仕事場でもあるAlekの部屋で、お互いに自己紹介しながら、二人は映画を鑑賞していた。そこから、お互いに恋に落ちるほどに、二人はよくAlekの部屋で映画を観るようになった。ときに、Sariも路地裏でAlekが海賊版DVD用の字幕の取引しているところについていく。

ある日、気分転換に高級な美容室で働いてみたかったSariは大きい美容室で研修を受けてみた。自分がフェイシャル仕事の経験もあるし、研修がもう十分だと思っている彼女は上司に仕事を始めるために準備ができたと伝えたが、研修が不十分だと思っている上司は彼女に特別な常連さんのところへフェイシャルしに行くと申し出て、すぐ仕事を始めたがるSariは早速その常連さんのところに行った。常連さんのところは刑務所であることSariはを知っているけど、彼女の想像を上回る刑務所だった。その刑務所はホテルの部屋かのように、フェイシャルの設備なども置いてあるほどに、豪華な刑務所だった。接客している間に高級ブランドの物の話しかしない常連さんのMirnaを接客したあと、Sariはそっと部屋においてあるDVDを盗んだ。
Alekと二人で盗んだDVDを観たら、思いもよらぬ映像が流れている。その映像はMirnaの正体を明かした。Mirnaは恐ろしい賄賂者であることが発覚したとき、Sariは再び刑務所へ行って、DVDを返しに行ったが、警備員が彼女を入らせなかった。DVDを返す方法はもうないと思ったSariは刑務所に行かせた上司に彼女がMirnaのDVDを盗んだことを認めたら、お腹をけられた。それ以来、Sariへのテロが相次いでいる。不明な番号からの電話から始まって、Alekは彼の部屋に住み込むことにしたSariの服を取りに行く途中で、知らない男に誘拐された。Alekの家主が渡した携帯電話に届いたメッセージを宛てに、Alekを探した結果、手遅れだった。最終的に、Sariは禁断のDVDの表に「トランスフォーマー6」を書いて、Alekの取引先の人に渡した。

感想
この映画のテンポが非常に遅くて、クライマックスは最後の30分でまとめた。それにも関わらず、監督さんのJoko Anwarはジャカルタという都会の貧困のさり気ない点描は素晴らしかった。一つ目、主人公のSariが住んでいる下宿の風景や住民の会話はジャカルタに住んだことがない人にでも不思議に共感できる。そして、重要な役割を担っている字幕作りという業界はこの映画で「禁断な取引」として描写されているけど、暗黙的に「生き抜くために何でも仕事になる」というメッセージを伝える。しかも、Alekが字幕づくりで得られた収入を独りぼっちの家主のおばあさんの食費にも費やすところはJoko Anwarによってさり気なく描かれた困難の中の心優しさ。


SariとAlekの演技はこの映画の注目点の一つだと思う。二人の物語が映画の8割も占めたからには、二人の関係性も自然に描かれた。お互いにそれぞれの性格に影響を与えたりするシーンも微笑ましい。個人的に印象に残ったシーンは少し乱暴だったAlekは字幕の取引しているとき、Sariを取引先の人に彼の妻として紹介するシーン。
映画のクライマックスでもあるMirnaの正体が明かされたシーンはインドネシアの汚職・腐敗・縁故主義の問題がそのまま監督さんによって描かれている。悪意的行為さえしないSariはMirnaの部屋で盗んだ“だけ“で、平和だった彼女の人生が180度変わったのは「腐っている」インドネシア政府の状況を反映している。最後の反撃の手段として、字幕取引先の人を通して、MirnaのDVDを広めることにしたSariは職する人々に対して、一般人である彼女によるパブリック・ジャッジメント(国民的裁判)ともいえるし、犯罪行為の捉え方への監督さんによる批判ともいえる。
皆さんはSariみたいに、ちょっとした悪いことをやってしまったのを他の人の前で認めたのに、認めたせいで倍以上の悪いことをされた経験とかありますか。

タイトル:A Copy of My Mind
上映年度:2015


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