自分が話すことばを考える4週間

prologue 

大学院生として最後の夏休みに"これ"を体験できて、本当によかったと心から思って、今回このノートを書くことにした。大学院生になる前は研究というもの自体に興味があるとか、研究を通して社会問題に取り組む熱量が高いとか、そういう動機でなりたいわけじゃなくて、むしろ研究にももちろん取り組んでいるけど、同時に多くの人に、自分のスタイルとか、自分の感性とか、を生かせながら、何かを共有することに憧れている。とくに、そのとき見てきたたくさんの先輩方の姿が自分が今歩んでいる道に影響を与えている。ある日、自分が憧れていた夢に近づく瞬間が来た。もちろん、それもありがたいことに、一人の先輩が声をかけてくださったから。「このプログラムに応募してみない?興味あったら、メールを送ってみて」とやさしくこの貴重な機会を作ってくれた。実はそのプログラムに参加する以前に、少し似たようなことをやっていた。でも、今回はなんか違う気がする!なんかもっと面白そう!とふわっとした魅力を感じた。正直そのとき、具体的なことはまったく知らなかった。というか、当日が終わってから、やっと理解できた。心配性な自分は何か取り憑かれたかのように、不思議に不安は一切感じなかった。前日に来たマイクロ・ティーチングの実践案内のメールにもとくに驚かなかった。そう、僕が憧れていたのは先生の立場として海外の教室の前に立つことだ。「はい、どうぞ始めてください」と人事部の方に言われて、遠隔で模擬授業をやった自分も今でも鮮明に覚えてる。とにかく面白く!と必死だった自分はそのとき何を言ったのかも覚えてるし、少し意地悪だった生徒役の面接官のことばは尚更。初対面の会話の定番質問として「趣味は何ですか」と問いをなぎかけた自分に対して、「趣味はないです」と返した面接官は意図的に言っただろうなと思いながら、必死に答えを引き出そうとしたのも今思えば笑い話にしかならない。あれはあれでよかったかは今も分からないけど、結果的に先生をやることになった。面接日から約4ヶ月後(長っ!)、先生をやる日が見えてきた。その間の研究と就活で、最初感じた気持ちは半分以上忘れかけていた。メールの冒頭に並んでいる、同じ先生として参加している方々の名前は当たり前のように初めて聞いた名前ばかりで、きっといっぱい刺激をもらえる環境!と、最初の気持ちを取り戻そうとした。プログラムが始まる前に出された事前課題はインドネシアの高校で日本語の先生のアシスタントとして、支障なく生活を送れるように、インドネシア語の4週間の学習内容を考えること。何を重視すればいいか、何を取り除けばいいか、まず先生一人一人が考えないといけなかった。インドネシアの高校生に日本語と日本文化を楽しく教えに行く?!僕が高校生のときに、こういうのもあればよかったのにな!と今のインドネシアの高校生が羨ましく思うけど、その高校生たちもが楽しく授業を受けれるように、微力ながら力になれたらな。そう、この度、日本語パートナーズに参加している方々にインドネシア語を教えた。(つづく)

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