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ガマンしてるともったいない!

谷崎潤一郎の「刺青」は、「それはまだ人々が愚と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」という文から始まります。

「刺青・痴人の愛・麒麟・春琴抄」(文春文庫)谷崎潤一郎(著)

同じ谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読み終えて愚=徳という生き方に、何か共感できる自分がいました。

女性の美の魔性を、悪と認識しながらも、その魅力に屈し、敗北し、自滅してゆく「愚」の世界。

現代常識においては、それは愚行と言われますが、それは、価値観が唯物的であり、実利優先の合理主義だからであると思いませんか?

経済的に自滅してゆくことは、自ずと低くみられるものです。

男性にとって女性が、女性にとって男性が特別な存在であることは、雄雌の関係において人間も生物である限り、特別な話しではありません。

好き嫌いというシンプルな判断基準は、電気の正負に似ていますよ、ね(^^)

例えばコンピュータは電気製品であり、電気のオンとオフというシンプルな信号を、いくつも組み合わせて、複雑な処理をこなしていきます。

人間の判断も、元を正せばこの好き嫌いから始まっています。

つらいと楽しい、どっちが好き?

貧乏と金持ち、どっちが好き?

無名と有名、どっちが好き?

若いと年寄り、どっちが好き?

遅いと早い、どっちが好き?

少ないと多い、どっちが好き?

一人とみんな、どっちが好き?

そんなことが複雑にからみ合ってくると、判断がだんだんと難しくなってきます。

でも元は、そう、好き嫌いから始まっているんですよねぇ。

愚=徳という生き方には、この世は一度限り、一人で生まれ、一人で去ってゆくという観念に、共通するものがあるように思います。

人の一生には、多くの男と女の出会いがあり、そして、その展開は、その人の考え次第で決まってきます。

賢人として品行方正な生き方を送るのか、愚人として喜劇や悲劇のドラマになるかは、自分次第、いや、おまえ次第かも(^^)

アクティウムの海戦で、部下を置き去りにしてクレオパトラを追って敗戦し、さらにクレオパトラの死去の誤報により自殺を図った、アントニウス。

14歳の時に年上の女性に恋をして「若きウェルテルの悩み」、70歳にして17歳の少女に恋し、まさに恋多き人生を送ったゲーテ。

以下は50歳にして17歳の少女に恋してしまった、ヘミングウェイの一説です。

「一人の女しか愛さない男は、しばしばもっとも幸福な生活を送るが、死ぬ時は、もっとも孤独な死にかたをする。」(「老人と海」より)

「痴人の愛」の最後の節で主人公は、愚人と呼ばれながらも、自らの選択した人生に満悦し、うすら笑いを浮かべながら、我々にピースマークを送っているように見えました。

「恋はするのではなく落ちるもの」

変なやせ我慢はもったいないですよ!

今だけの味覚、楽しもう♪

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