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おむすびころりん♪

ブログのように誰かが書いたものを読む、ということは、単なる情報の共有以上のものであるんじゃないかって感じませんか?

繋がっているのは、情報ではなくて、人ではないのか?と・・・・・・

有名でもなければ、名だたるトラックレコードもないブログに繋がってくれた人たちは、どう感じたんだろうか?

ネットという情報の海を漂う人たちは、ただの情報が欲しいのではなくて、それを書いている人との繋がりを意識・無意識に求めているのではないか、と思います。

ブログの繋がりやすさを示す一つの考え方として、ツッコミビリティという言葉があるそうです。

「論理的な筋道が明快で、書き手の主張が明確なほど突っ込みが入れやすい」という洞察だそうで、とても興味深い事象だと思うのですが、これに加えて、「繋がりやすさ」には、そこに書き手がいるかどうか?

書き手の思いに対して「共感」できるかどうか?

表現がうまいかどうか、提供している情報の価値が高いかどうかだけでなく、書いている人の気持ちに「そうだよねぇ」と相槌を打ちたくなるかどうか?

話し掛けたくなるかどうか?

もっと突き詰めて言えば、その人と友達になりたい、繋がりたい、と思うかどうか?

人の心にある、この壁を超えられるかどうか?、というのが、とても重要なファクターなのではないか、という気がしています。

人の心を動かすには、論理的に相手を納得させるだけでは足りないんですよね。

言い換えれば、理解に加えて共感があるからこそ人は繋がるのだ、とも言えるのではないでしょうか。

私がブログを始めた理由は、これまで手帳やノートに書き溜めておいた、その時々で感じた事を備忘録的に再度書き留めてみるかという、いたって気楽な感じで始めました。

その中で自分なりの問い・答えのようなものを探していく過程も書きとめておければいいなと、これまで思ってきたのですが。

それをわざわざ世間に公開しているのは、自ら声を上げなければ、誰からも意見を求められない立場だからだったのかも^^;

言いたいことがあってもうまく表現できないのでは、なんだか、心もたないし寂しい感じもするし、むむむむむ・・・・・・

自分の意見には、何の価値もないのではないか?って思うことも多々あります^^;

その当時は、若気の至りで、そんな自分に対してあせりや苛立ちを感じたりもするので、それを明確にするためにも、いろいろ書いてみれば、何か得るものもあるかと。

大袈裟に言えば、大丈夫!

生きている以上、私の存在にはきっと意義がある。

死んでしまってからでは何も変えられないけど、変えられるのは、これからの自分だけだし、と言い聞かせるためのおまじないの意味も込めてブログを書くのも楽しいものかなと、そんな軽い思いで続けています(^^)

ある意味、このブログは、かっこよく言えば、私が私自身になろうとする戦いの記録だと言い換えても良いかもしれません。

もしくは、「僕だけの道」を何度でも「REVIVER(よみがえらせる)」ためかも、なぁ~

MY FIRST STORY「REVIVER」
https://www.youtube.com/watch?v=BWmO6SCYhRc

One day I just kept looking up to the sky
What do you take and what do you lose again
You know? You know? You know?
I know!!

'Cause I will need to protect some one now for sure. Right?
This decision needs to be made on today
I've tried to imagine it over 100 times
Nobody knows this story that I will put into an end start it over again

出典:REVIVER/作詞:MY FIRST STORY 作曲:MY FIRST STORY

本当の運命「僕だけの道」を、誰もが、この現実でも歩まなければならないから、ね(^^)

とまぁ、こんなふうに、極めて個人的な動機でやってるブログですが、私の個人的な戦いの記録が、同じように戦おうとしている人たちにとって励みやヒントになったり、慰めになったり、時には共感しあったり突っ込み合ったりして、戦いの合間の憩いの場、言い換えれば、止まり木みたいになれれば幸いです(^^)

そうそう、人と人とのココロを結ぶ、あったかごはんみたいに。


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