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朝のちょっとした時間にブログの更新。

みなさんは何のためにnoteやブログを書いていますか?

できれば、多くの人に読んでもらうのを目的にnoteやブログを始めるべきじゃない方が長くつづけていけそうです。

noteやブログというのは、実に多様な可能性を拓いてくれるツールです。

ある人は単純に日記として使っているし、ある人はアフィリエイトで収入を得るのに使っているし、ある人はパーソナルブランディングのツールに使っています。

要は、自分のためにnoteやブログを書けば良いことになります。

例えば、noteやブログを自分のメモ帳であったり、自分の興味を引いたことを書き残しておくとか、面白い話だから皆にも知ってもらいたいというぐらいの感覚で書いている方が、嫌にならずに、長く続けていけるコツのようです。

もちろん、読者がいると、多かれ少なかれ読者を意識して書いていることも事実だろうと思います。

また、自分のメディアと位置づけて日々noteやブログを書いている人もいると思いますが、想像以上に肩の力が抜けて書いていく方が、楽しめるんじゃないかと思います。

自分のための道具として、noteやブログを書くのであれば読者の目を意識して文章の書き方や言葉遣いを気にする必要はないですから(^^)

スキやファンが多いとか少ないとか、ページのビューが多いとか少ないとか、コメントやトラックバックがあるとか無いとかで一喜一憂する必要はありません!

多分、書いているうちに自分なりのnoteやブログの価値というのが見つかると思います。

続けていればこそですよね(^^)

そうして続けていることで、ひょっとしたら他のnoteやブログを書いている人との出会いやコミュニケーションが広がるかもしれないし、多くの読者に愛されるブログになるかもしれないから。

でも、仮にそうならなくても、仮に全く誰にも自分のnoteやブログを読んでもらえなかったとしても、自分のためにnoteやブログを書いている限り、少なくとも自分の考えが整理できたり、文章を書く練習にはなるはずです。

自分には向いていないと思えば、すっぱりnoteやブログを書くのはやめて、読者に戻ればいいのだから、あまり、難しいことを考えてやめるぐらいなら、とにかく続けてやってみることが大事なんじゃないかと思います。

とはいえ、noteやブログを続けること自体にはあまり意味はないと思っています。

ゴールのないマラソン、あるいは終わりのないジグソーパズルのようなもので、続けることが自分にとってプラスになるなら続ける、どうも自分には合わない、ということであれば止めても良いと思います。

自分的には、そだな~noteやブログはどちらかというとマラソンというより散歩のようなものかもしれません(^^)

マラソンにおいてはペース配分や水分補給のタイミングなどテクニックを磨く必要がありますが、散歩にはテクニックは不要です。

テクニックは不要ですが、続けていれば「この道は昨日通ったから、今度はあの道を行ってみよう」といった変化をつけるようになります。

散歩を楽しむスキルが自然と磨かれるわけです。

ただ、このスキルは、自分にとって心地が良いかどうかという基準に照らしたものであって、他の人にも当てはまるとは限りません。

一通りの道を歩き尽くして、散歩はもう飽きたなぁ~と言う人はあまりいないでしょうから、歩けば歩くほど様々な発見があり、それがあるために散歩が続くのだと思います。

そして、せっかく散歩をするのだから、ということで新たな目的を思いついたりします。

例えば、散歩がてら写真を撮ったり、絵を描いたり、植物や鳥の名前を覚えたり、マンホールウォッチャーになるなど、散歩が習慣になるまでは思いも寄らなかったようなことが視界に入ってきます。

noteやブログにおいても、書くことによって初めて見えてくることがあります。

実際、いま抱えている課題とは何の関わりもなさそうな言葉であっても、それを眺めていると思わぬヒントが生まれることがあります。

noteやブログを書き続けることは容易ではありませんが、自分にとって意味のあるnoteやブログを毎日続ける方法のひとつとして、noteやブログのお題を、他の何かに求めてみるのもいいかもしれません。

例えば、毎日休まず配信されるのであろう今日の一言・名言・出来事などが、良いペースメーカーになって続けやすくなるのではないでしょうか。

もちろん、続けることよりもまず、そこから何を得ようとするかどうかありき、です。

それによって、自分に合ったお題を選ぶとよいと思います。

また、日々の活動を記録する日記やブログに親和性が高い項目のは、ノウハウだと思います。

日々の活動の中で見つけた自分なりのノウハウ、最近の言葉で言い換えると、ライフハックスとも呼ばれていますが、このノウハウを自分なりにまとめていけたらいいのだと思っています。

それは共有する意味もあるし、自分を振り返り、今日を未来につなげる事にも役立ちます。

自分でやってみて便利だったり、感動したり、考え悩んで得たことは、他の人も同じように便利に感じたり心を動かしたり共感する可能性が高いので、シェアするのが良いのではないでしょうか?

シェアすることを通して、自分の考えを客観的に確認することができるし、シェアした相手からフィードバックを期待することなどといったメリットが得られるからです。

そして、割と忘れがちなことが、過去の自分というのは他人である、というポイントです。

今日は、明日という他人になるための日。

人は一日一日変わっていきます。

昨日の自分と今日の自分は違う。

そして明日の自分も。

明日の自分は今日の自分からすると他人なのでしょうね。

もちろん今日の自分がないと明日の自分になれない。

他人は他人であっても、他人でない。

明日の他人になるために人は、毎日、何か新しいことを学ばなくてはいけないと思うのです。

そうなんですよねぇ、過去の自分は今から見た過去を歩んでいる人のことです。

でも、人間誰しも、その過去の出来事の意味が変わることもなく、そして、意味を変えることもできず、かと言って、忘れることもできない、つらい過去がひとつやふたつあると思います。

しかも、そのつらい過去は、自分の失敗が、導いてしまった出来事だったら・・・・・・

そんな失敗をしてしまった過去の自分に対して、今のあなたは、どう思っているのでしょうか?

情けない、ふがいない、恥ずかしい、バカだ、許せない・・・・・・

それでも、やっぱり、過去の自分を許してあげてください。

たとえ、してはならないことを、してしまったとしても、そうしてしまった自分を、そうするしかなかった自分を、そうしかできなかった自分を、許してあげてください。

過去の自分を許したからと言って、帳消しになる訳ではありません。

代わりに、今の自分ができることをしましょう。

それは、もう、そうならないように努力することかもしれません。

あるいは、「2度とそうしない」と固く誓うことかもしれません。

あるいはまた、何かつぐないをすることかもしれないのです。

そのために自分の外に記録することで、いつでも省みることができるようにしておくことは有効だと思います。

記憶があてにならない以上、その日に自分が考えたことはその日のうちに外部記憶媒体(例えばnoteやブログ)に退避させておく。

そうすれば、自分が築いてきた未完成の“砦”を他でもない自分があとから見上げながら、その進捗状況を確認することができます。

良かった事も悪かった事も、全部ひっくるめて(^^)

例えば、時間を経て記録を読み返すことでそこに当時は気づかなかったひらめきが見出されるかも知れません。

のんびりゆるゆる、続いていく♪

現在-過去-未来へと・・・・・・

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