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【短評】個人の自由は本当に人間の本質なのか?

現代の日本人は、自由であるはずなのに、その自由に対して、倦怠に陥っているように見えます。

自由は、最も大切な価値の一つとされるのに、これはなぜか。

それは、自由、そのものを追い求め、自由を支えている「何か」を忘れているからです。

手段であるはずの「自由」が、目的化してしまっている。

では、自由を支える「何か」とは何か。

第一に、「善」であると考えられます。

そして、第二に、もっと重要なものとして、多様なレベルの共同体の規範を超えた、いっそう超越的な規範への自発的な従属「義」ではないかと考えられます。

「第三世界」のナショナリズム論-「従属理論」派ナショナリズム論をめぐって-
https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-1/MINAMINO.HTM

イギリスの哲学者アイザイア・バーリンが紹介しているのですが、

【参考図書①】
「バーリン ロマン主義講義」アイザイア バーリン(著)田中治男(訳)

【参考文献】

かつて、ロシアの急進主義的思想家のアレクサンドル・ゲルツェンは、

【参考図書②】
「向こう岸から」(平凡社ライブラリー)アレクサンドル ゲルツェン(著)長縄光男(訳)

「ゲルツェンと1848年革命の人びと」(平凡社新書)長縄光男(著)

「向う岸からの世界史―一つの四八年革命史論」(ちくま学芸文庫)良知力(著)

次のように問いかけました。

「飛び魚が存在するにもかかわらず、誰も魚の本質は飛ぶことにあるとは言わない。

ほとんどの魚は水の中を泳ぐだけで飛ばないからである。

ところが、人間の場合にはどうか。

人間の長い歴史の中で自由を追求した者はごくわずかであり、ほとんどの人間は、それなりに食べてゆけさえすれば特に自由を求めたわけでもない。

にもかかわらず、われわれは人間の本質は自由である、という。

これはどうしたことであろうか?

と言うことは、人はそれほど自由を求めていないのか?」

確かに、平等を標榜するマルクス主義を範とする社会主義国家は、20世紀のうちに崩壊しました。

しかし、格差社会が蔓延れば、社会主義の理念が、新しい形で復活する可能性はゼロではなく、既に、新しい主義が世界を席巻しています。

その社会を不服に思うのならば、自由を基調とする社会主義国家が勃興してくるかもしれないし、少年ゲルツェンの様に、新しい社会を夢見る10代の若者が出てきてもおかしくないのが、現代社会ではないでしょうか。

【参考図書③】
「不自由な社会で自由に生きる」(光文社新書)ウスビ・サコ(著)

「スピノザ 人間の自由の哲学」(講談社現代新書)吉田量彦(著)

「自由とは何か 「自己責任論」から「理由なき殺人」まで」(講談社現代新書)佐伯啓思(著)

「目的への抵抗」(新潮新書)國分功一郎(著)

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