【個性的な作曲家がいっぱい】変わった死に方をした作曲家
生まれたからには、誰にも、いつかはやってくる死。
しかし、その形は、誕生の時に比べて、何と複雑で、変化に富んだものであろうかと、そう感じられます。
ある人は若くして亡くなり、ある人は、歳を超えて、枯木のごとく静かに朽ちる。
長い病気に苦しんで、逝く人がいれば、事故により、一瞬に消える人がおり、空に死ぬ人がいれば、海に没して見えなくなる人もいます。
例えが良くありませんが、その多彩さは、さながら万華鏡をのぞくかのようです。
音楽家たちの世界も、また同じ。
彼らの最後を見わたすと、病気による死はもちろん、不思議なきっかけによるもの、不運なもの、まさかと思うような原因によるもの等、色々な死に方をした人がいて、残された作品への興味をそそられることが多いのも事実です。
どんな死に方をした人がいたか。
特に、変った死に方をした人について、この記事で、纏めて、ご紹介してみようと思います。
まず、まさか?と思うような不思議な原因で亡くなったのは、バロック時代のフランスの作曲家ジャン=バティスト・リュリです。
なんと彼は、指揮棒によって殺されていました。
オーケストラの指揮者が使う、あの指揮棒(タクト)のことですが、現在使われているものしか知らない私たちは、そういわれてもピンとこないと思われます。
実は、リュリの時代には、杖のように長い棒を使い、拍子に合わせて、ドンドンと床を叩いて、合図していたのです。
ある時、曲がクライマックスに達すると、彼は、感情をこめて思いっきり、強く床を叩いた。
と、それが床でなく、リュリの右足の親指だったからたまらない。
激痛と共に、指は見る間に腫れあがり、やがて、そこから入ったバイ菌に犯された彼は、あっけなく、死んでしまったそうです。
もっと不運なのは、第2次大戦が終わった1945年に、オーストリア近郊の小村で亡くなったアントン・ウェーベルンでしょう。
彼は、たまたま娘婿から貰った闇タバコを吸おうと外へ出て、火をつけた瞬間、娘婿を見張っていたアメリカの憲兵の勘違いにより、射殺されてしまったからです。
戦争が終わり。
かつての日本のように、オーストリアにも、アメリカ軍が駐留して、彼らの物資を横流しする人たちを監視していたのです。
戦争がらみの不運といえば、スペイン近代のエンリケ・グラナドスも同じ。
彼は、1916年の1月に、オペラ「ゴイエスカス」の初演をニューヨークで行なった帰途、乗っていた客船が、イギリス海峡で、ドイツの潜水艦に攻撃されて、夫婦で、海に消えているのです。
第1次世界大戦が始まっていたのです。
そのほか、身の安全をはかろうとして入った政党が、革命で倒され、首を刎ねられてしまったエーデルマン。
交通事故で亡くなったショーソン、フランク、ラヴェルの三人。
自殺をしたワーロック、クラーク、チャイコフスキー。
狂死したシューマン、スメタナ。
葬儀用の音楽を作曲中に亡くなったモーツァルト等、作曲家たちの最後も、結構、バラエティに富んでいることに驚かされるのではないでしょうか。
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