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【演奏家によって再現される芸術】作品の解釈

演奏家の違いによる演奏の違いから、次に、問題となるのは、作品の解釈についてです。

難しく聞こえるなら、言い換えてみると、この曲は、どう再現(演奏)するのが望ましいのか、ということです。

望ましいとは、作曲した人の真意に添うことです。

もちろん、本人が生きている場合は、問題はなく、亡くなっていることによって生ずることであり、スコアが、ある部分までしか書き表わせないことから来る問題でもあります。

真意に添うべく、あれこれと考えている筈の演奏が、十人十色。

決して、同じでないということは、作品の解釈が、それだけあるということです。

そのうちのどれかは、多分、作曲者の真意に近いのかもしれないのですが、どれであるかはわからない。

この場合、それぞれの差を生むことになるスコアの読み方、同じプレストを違って演奏することになる裏側の要素、すなわち、彼らが、スコアを通して見ている別のものとは、一体、何であるのか。

これもまた想像するしかないのですが、もしかして、作曲家の人間像、どこに生まれ、どんな性格や考え方をもち、どんな生き方をしたのかかもしれないし、その作品を書いた時の状況、生活かもしれません。

或いは、彼の生きた時代や、社会背景、音楽状況?

それとも、音楽史上の交友関係(誰と仲がよかった。だから影響を受けているといった)であったりと。

すべて、こうした事柄に目を向けた上で、

「だからこのスコアは、こう再現しなければならないのだ」

と結論づけた。

そして、演奏しているのだとしたら、結果として、違った形にはなっても、それなりに、説得力があるものと考えてよいのではないでしょうか。

もちろん、これらの要素は、ある部分で共通し、ある部分で差を見せる。

研究が進んだ現在、では、それほど、大きく違わない筈だという見方も、できなくはないけれど、ここに、さらに、演奏家、それぞれの経歴や考え方、楽器、会場、レコードの場合には、録音に使われる機材や、スタジオ (ホール)の違いなども加わってきます。

どう見ても、同じ演奏にならないことは、明らかなんですね。

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