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【GW期間中の自由研究(その4)】あたらしい自由

富久浩二さん撮影(嗚呼、此れが自由。)

「自由」とひとことで言っても、人によって解釈は全然違うでしょう。

[テキスト]
「自由をつくる 自在に生きる」(集英社新書)森博嗣(著)

アメリカ人なら、

「フリーダムのこと?それともリバティ?」

って、確認するかもしれません。

私は、自由には、少なくとも、4つの種類があると、考えています。

経済的自由

時間的自由

空間的自由

精神的自由

自由は、少なくとも、この4つに分解できそうです。

そもそも、人は、自由にならなければいけないのかと言われれば、それも、不自由な考え方だなと思ってしまいます。

その人の価値観に沿った生き方。

それこそが、自由なのではないか、という気もします。

人に依っては、この4種類の自由を、全て実現したいと考えている方も、いるかもしれません。

ここで、少しだけ、自由に関して考えてみたいと思います。


■自由とはなにか

[テキスト]
「不自由な社会で自由に生きる~「自由論」講義録~」(光文社新書)ウスビ・サコ(著)

自由という言葉・概念、すなわち

「私のことを私で決めること」

という意味の言葉・概念は、なぜ必要となったのでしょうか。

私のことを私で決めることなど、人が、無意識的に、常時、行っていることで、敢えて、意識することがないため、生まれにくい言葉・概念だと思うのですが、いかがでしょうか。

例えば、地球上に、たった一人しか人がいなかった場合に、自由という言葉・概念が生まれたでしょうか。

生まれない可能性が、高いと推測します。

全く制約のない環境においては、自由という言葉・概念は、生まれ難いのです。

矛盾する言い方ですが、人に、

「心のままであること。思う通り。自在。」

と広辞苑が表現する原理的自由が存在しているのならば、自由という言葉・概念は、生まれなかったと推測されるのです。

そうすると、自由という言葉・概念が現存しているのですから、人にとって、なんらかの制約のある環境が存在していることになります。

それが、社会です。

私たち(私とあなた)の関係の総体です。

社会的制約が、自由という言葉・概念を生み出したと考えるのが、適当だと思います。

社会という言葉・概念も、とりたてて、それを意識することがないものですが、自由という言葉を吐いたとき、その自由を制約する主体として、輪郭が、顕わとなるように感じます。

社会(制約)が、自由を生み出した、社会(制約)があって、自由があるという機序であるということです。

■自由という概念の再構築の必要性

[テキスト]
「「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学」(NHKブックス)苫野一徳(著)

以上を前提とすると、自由の概念については、再構築する必要があると思います。

原理的な自由は、存在しないのですから、社会の中の自由、制約を前提とする自由を、概念すべきだと思うのです。

なぜかというと、そういう前提・背景を取り込んで、概念把握することで、そういう前提・背景の中にある自由を、保障することができると考えるからです。

端的に、自由保障のためにです。

■あなたのことをあなたで決めること

[テキスト]
「自由の哲学」(ちくま学芸文庫)ルドルフ シュタイナー(著)高橋巌(訳)

それでは、具体的に、どう再構築すべきなのか。

保障のための再構築なのですから、保障されるように、再構築するのです。

社会の中で、個々人が、それぞれ自分の自由だけを認めろと、声高に叫ぶとするとどうなるか。

力のある一部の人の自由だけが保障される状況が、出現するでしょう。

それでは、多くの人の自由が、保障されていないこととなるので、望ましくないでしょう。

そうではなく、個々人それぞれが、私だけではなく、他者の自由を尊重するようになることでこそ、多くの人の自由が保障されることとなるように思います。

限度はありますが、自由の総量は、定量ではないと思うので、個々人それぞれが、他者の自由を尊重できている社会においては、そうでない社会に比べて、自由の総量が大きくなるでしょう。

したがって、そういう社会を形成することが、自由保障につながるのですから、そういう社会が形成しやすくなるように、自由の概念を、再構築すべきなのです。

もちろん、概念の再構築だけで、望む社会が形成されるわけではありませんが、望む社会形成の端緒として機能すると思います。

とくに、再構築した自由の概念を、それぞれの立場の方々に伝えることで、未来が変わる可能性があります。

具体的には、単純なことで、第一義的意義を、主張から尊重に変えるのです。

「私の自由を認めろ」

ではなくて、

「あなたの自由を認める」

へと重点を変えてやるのです。

それを、自由の定義・概念に反映させると、これまで、

「私のことを私で決めること」

と定義づけていたものを、

「あなたのことをあなたで決めること」

と変えてやるのです。

そうすると、私の自由を実現するためには、あなたの自由を犠牲にすることも厭わない姿勢だったものが、私にも、あなたにも、自由があるのだから、あなたの自由を支援する姿勢へと変わった状況をイメージできます。

ちょっとしたパラダイムシフトです。

そう、パラダイムシフトを促すように、自由の概念を再構築するのです。

それでは、みなさんにとっての自由の概念を再構築した場合、何某かの

「あたらしい自由」

みつかりましたか?

■参考図書

「人はなぜ「自由」から逃走するのか」(ワニの本)仲正昌樹(著)

「言葉からの自由 コピーライターの思考と視点」三島邦彦(著)

「ネガティブクリエイティブ つまらない人間こそおもしろいを生みだせる」藤井亮(著)

■あたらしい自由達

しゃべる自由
しょげる自由
はしゃぐ自由
やめる自由
愛おしむ自由
愛する自由
飲む自由
詠む自由
演じる自由
下る自由
歌う自由
覚める自由
学ぶ自由
感謝する自由
観じる自由
泣く自由
教える自由
愚痴る自由
考える自由
始まる自由
守る自由
終わらない自由
食べる自由
戦う自由
待たせる自由
待つ自由
沈黙する自由
登る自由
働く自由
悩む自由
微笑む自由
描かれる自由
描く自由
変える自由
変わらない自由
眠る自由
夢を追う自由
夢を描く自由
夢見る自由
夢想する自由
遊ぶ自由
踊る自由
旅する自由
恋する自由
憎む自由

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