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高い空から雲の海を見下ろす!

幸せになるには、能力が必要であると思うようになってきました。

例えば、幸せを感じる能力みたいな見えないものを感じる力が必要じゃないかってことです。

幸せになる能力ではなく、感じる能力であると言い換えられるかもしれません。

ああなったら、あれがあれば、あの人のようになれば幸せになれる、といくら思っていても、その目標を達成した瞬間には喜びはあれど、幸せにはなれないと思うんですよね。

人は何かを達成すると、「さらなる、もっと」を求めるものです。

あるいは、「失うことの恐怖」におびえるかもしれません。

幸せとは目に見えるものではないため、目に見えないものを感じるには、能力が必要です。

以前、短歌を読んでいて、ドキッとした歌がありました。

俵万智の一句に「死というは日用品の中にあり コンビニで買う香典袋」があります。

香典袋をコンビニで見かけたときに、人の死は日常的なことであり、決して遠くにあるものではないと、”感じる力”にハッとさせられます。

金子みすずの童謡「星とタンポポ」も似た感じのする内容です。

たむらまろ「星とたんぽぽ」
https://www.youtube.com/watch?v=pkyntgUqAc0

♪青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。

見えぬけえれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ、見えぬけえれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。♪

金子みすずは苦労の連続の人生で、26歳で他界しましたが、ちいさなことの中に、大きな広がりを見る力を持っていた様です。

おそらくは、他の人からみたら決して幸福とはいえない日々の中でも幸せを感じることができていたのであろうと思われます。

私にとっての幸せには、穏やかで、静かで、平和なイメージがあったのですが、雑然と喧騒の中にだって、幸せはあるものなんでしょうね(^^)

どんなに立派な御殿に住んでも、ひとりっきりでは不幸だし、幸せはまさに今ここにあり、かつ見えないものかも。

そして失うと、気づくみたいな感じです(^^)

だから、失う前に気づきたい、感じていたい。

見えぬけれどもあるんだよなぁ~

そう、雲の下はどんな天気だろう?って思うのに似ていたりするかも、ね!

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