許せないこと

これを記事にするか悩んだ
なぜなら、これを読んでほしい人には届かないし、読んだところで意味をはき違えることがわかっているから。

そういった意味では、非効率で無意味であるとも思う

それでも、許せない。

もし、万が一、君がこれを読んだときに、「許さなくていい」「憎んだままでいてほしい」という悲劇ぶるだろうから、先に書いておくけど、
この記事は君のやったことが許せないだけで、君自身を許せない存在だという意味ではない。

さて、何が許せないのか。

私の考えとして、「人にやったら嫌なことはしない」という当たり前のことが根底にある。

なので、自分がやられて嫌なことは自分はしないようにしている。
ただし、自分が嫌じゃなくても、相手にとって嫌なことをやってしまうことはあることは理解している。

ここ最近、私生活が慌ただしく、モチベーションを保つためにSNSで好きなものを呟いていた。(相手が不快になるような発言ではなく、○○が好き等)

そうしたら、突然、下記のようなことを文面で送られてきた。
※対象者と関わる前から私の投稿内容は変わっていない。

『君という個人に対しては興味はないが、自分を理解した人間、そして自分を尊敬する人間が、他でも同じように幸せに生きていたり、他人にヘラヘラ媚び諂っている姿が見てられなかったのやもしれんな

意味が分からなかった。
前後のやり取りでも、喧嘩したわけではない。

ただ、自分しか見てないと思った人間が、嫉妬に駆られるとこういったことを文面で何も考えず送るのか。と分析してしまうくらい不快だった。

更に、私が許せないと思ったことは、その後、SNSで認識違いのことを書かれた。削除を求めるように、コメントしたが、全てブロックされた。

数人しかフォロワーがいない自分と、数千のフォロワーがいる対象者では、信じるのはどちらか目に見えている。

話していて思わず、言ってしまうのはまだ理解が出来る。
しかし、文面で送るときに一度止まることは出来なかったのだろうか。
上記の文章を送ったら、私がどう思うか、
何も思わなかったんだろうな。
だから、送ったんだろうな。

自分の好きなもの(人たち)をたった一言で侮辱される言葉があるんだなとすら思った。

そして、対象者が後日更新したブログでは、『私にこう言ってほしかったんだろうな』と分析をしていたが、言ってほしかった言葉は、仲が良かった時に何度も何度も言っていた。
それすら届いていなかったのかと思うと、怒りより可哀そうだなって。

いろいろ思うところがあるが、やっぱり仲が良かったときに病院を勧めていたことは唯一、良かったことだと思うことにしている。


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