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すきってなんだろうね


自分が「すき」だと思えるものって

誰かが何て言おうが

誰かに何と思われようが

自分にとっては絶対的な価値があって。

それはおそらく

その対象に対して自分が

「すき」だと感じれた事実こそに

価値を感じていて。

自分の価値観に価値を見出している

ということのあらわれでもあるのかなって。

でもなんかたまに

「すき」の気持ちがゆらゆらしはじめて

少し風が強く吹いたら

吹き飛ばされて消えてしまうんじゃないかって

不安になってくる「すき」があったりして。

そうすると

「すき」ってなんだろう?

「すき」ってなんだっけ?

とか迷子になってきたりして。

本来「すき」は「すき」でしかなくて

それ以上でも以下でもなくて。

なのに何でその気持ちが揺らいでくるのか?

そんなことを考えていたりしたんだけど。

「すき」の先に期待してしまっていたんだなー

と腑に落ちたりした。

ちょっとだいぶ違うかもしれないけど

わたしの中に「すき」という感情が芽生えた瞬間

「すき」の概念誕生の瞬間や

「すき」という気持ちに気づいた瞬間って

" 無償の愛 "

みたいな感覚なはずなんだけど

「すき」を求めていくうちに

無意識下で

期待や理想なんかが爆誕してしまっていたりして。

期待に添わない現実に勝手に落胆したり

理想に程遠い現状に焦ったり不安になったり。

そうしているとだんだん

「すき」で透き通っていたはずの心が

もやもやアセアセしてきて。

すきなはずなのに、たのしいはずなのに、

辛くなったり苦しくなったりして。

そうして「すき」がわからなくなってきて。

かつての「すき」はどんなだったっけ?

かつての自分は「すき」に対して

どう向き合っていたっけ?

なんて思い耽って。

じゃあ、どうしたらいいのって問うと

執着をやめよう

という結論にしか行きつかなかったりする。

諦めっていうとマイナスに聴こえるかもだけど

わたしにとって諦めってのは

希望を見出すことだったり

心の居場所を確保することだったり

わりとプラスなことかなって思ってて。

諦め、流されて、争わず、

信じて待つ。

みたいな。

心の中から「すき」は消えないし

消さないんだけど

諦めながら淡々と「すき」を信じて

冷静に焦らず「すき」と向き合える自分を待つ

みたいな。

まあこれが簡単にできるなら

多分この世には生まれてなくて。

修行の連続だなー

なんてどこか他人事でみてたりもして。

なにが言いたいかってっと

なんかちょっと疲れたな、

待ちくたびれたな、

期待しすぎたな、

リフレッシュしないとな、

って。

なにかを追いかけつづけるって

気力と体力がとてつもなく必要。

ちょっと追いかけ疲れちゃってんなーって。

もっと自分を自分で愛して満たしてあげなくちゃ。







いまの気持ちを忘れないように。

言葉って不確かな存在で
記憶って曖昧だから。


きっとぜんぶうまくいくから
この気持ちを今を、忘れないように。


















いただいたサポートは楽曲制作の為に使用したり思い出のモノへと変換し、素敵な思い出をたくさん作っていきたい所存です( ˘ω˘ )♡