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不登校までの道のり~次女の場合2

さてさて、
次女ちゃんが2年生になり、
少しずつ少しずつ、何かが蓄積していきます。

言葉で会話ができればいいのだけど、
それが難しいので、
少しずつしか理解してあげれなかった。

小学2年のとき

<シーン1>

1つ上の学年の生徒が、
普通学級から支援学級へ変わってきました。

よく忘れてしまう子のようだったので、
支援学級へやってきたのだけど、
次女ちゃんの担任の先生は、
遠くから大きな声でよく怒ってた(怒鳴ってた)。

このシーンは私以外の親も、
一緒に登校する人は周知であり、
児童デイサービスのスタッフの方もそうだったみたい。


その頃は確か、
モンスターペアレントという問題もクローズアップされてたし、
親にしたら、
子どもを預かってもらってるし(人質的?な)、
先生に伝えることで、
子どもが理不尽なことになったりする?
どこまで伝えていいのかな?と、他のママと話したりしてた。

※モンスターペアレントとは…
学校などに対して自己中心ともいえる理不尽な要求をする親を意味します。

★参照記事

そんなこんなで、
自分以外の子どもであっても、
どうしたらいいのだろう?とよく思った。

<シーン2>

シーン1の男の子Aくん以外にも、
なかなか動かない女の子を、
なんとか動かそうとしていて、
動いて廊下に出たのだけど、
壁で見えないのだが、
パチンとお尻を叩くような音がして…。

その現場をもし見ていたら、
おそらく職員室へ直行したと思う。

<シーン3>

ある日のAくん、
普通学級で体育の授業を受ける予定(交流学級)だったのだけど、
雨が降ってきて、
体育の授業が外で出来ないから、
自分の教室に戻るように言われて、教室に一人で座ってたことがあった。

次女ちゃんは相変わらず、遅刻での登校。
授業が半分過ぎるころに、教室へ入ると、
電気が消えた部屋に一人で待っていたAくん。

その時間はPCの時間で、
3階の部屋で授業を受けていたから、
上記の事情を聞いてから、一緒に行こうと移動した。

で、教室につき、
次女ちゃんの担任にそのことを伝えたのだけど、
驚きの返事が返ってきた。

『きみぃ~、変わってるねぇ』と第一声。

そんな言い方ある?

私もちょっとムカついたので、
『普通学級の先生に言われて、自分の教室へ戻り、
 着替えて、着席して、待ってたんですよ』と言ったんだけど、
どんな風な返事が来たのか、はっきり覚えてないのだけど、
Aくんがおかしいみたいな表現で。

だから、支援学級へ変わってきたのに、
この担任は支援学級をどういう教室だと認識されてるんだろう?

それに、
普通学級と支援学級間でのやり取りが希薄だなと思った。

<シーン4>

普通学級の先生らも、
そういう点では、
支援学級に対しての理解も低いのでは?と。

いつからか覚えてないけど、
活舌が悪く、
そして早口の次女ちゃんが、
『●●●、×××、怒られた』とよく言うようになった。

それを聞いて、
次女ちゃんが困ったことでもしたのかと思ってた私は、
『何かして怒られたの?』と聞き返していた。


小学3年生の時

<シーン1>

活舌が少し良くなり、
上記の怒られてることを、
『Aくん(上記の男の子)、怒られてたっ』と言うようになった。

『そうだね、Aくんはよく怒られてるよね…』と会話をしたなぁ。

<シーン2>

多分3年生の時だと思うんだけど、
ある日、相変らず遅刻して登校の次女ちゃん、
ちょうど朝礼が終わる頃。
1つ下の仲良しの子が、この日は右往左往落ち着かなくて、
私達が教室に入ると、
教室で受けなくてもいいと、例の担任が大きな声で言ったかと思いきや、
腕で脇を持って、
引きずって、廊下へ出したんだよね(驚愕)。
(見てはいけないものを見てしまったか...と思った)

もう一人の先生が教室を出された子のサポートに回ってたと思うんだけど、
次女ちゃんの担任が教室へ戻り、
『号令は?』と大きな声で怒ってた。

タイミング悪く、例のAくんがその日が号令担当。
先生が大きな声で怒鳴ってるから、
他の生徒もびくびくしてるのが、
後ろから見てる私の目には、よく分かった。

そしてシドロモドロに挨拶を終えた。

次女ちゃんはどうしてる?と見やると、
俯いたまま突っ立ったまま。

次女ちゃんの担任は『各々の教室へ戻るように』と声かけてた。

でも次女ちゃんは動かない。

他の2人の先生も、
次女ちゃんを気に掛けることもない様子。

いつもこうなのかな?と観察していたのだけど、
あまりに動かないから、
『担任の先生が教室へ戻るように言ってたから、行こうか?』
と声を掛けて、顔を上げると、
次女ちゃんの担任が目の前にいた。

そして私にこう言い放った。
『お母さんがそんなんだから、次女ちゃんが甘えるんですよっ』と。

(はぁ?あなたの怒鳴り声で固まってしまったってのに…)

ベテランでもある担任の先生に対し、
どうしたらいいのか不安が増すばかりで何も言えず。

今なら、即職員室へ移動し、教頭先生と面談し、
それでも当たり障りのないことをいって逃げの姿勢なら、
教育委員会へ足を運ぶだろう。

あの時こうすれば...と思い出すときは、
不甲斐ない自分に対して、今もまだ少し腹が立つのだ。

<シーン3>

3年生になると、
市内の工場への社会見学があったので、
長女も行ったし、
次女ちゃんも行くもんだと思ってた。

けど、社会という授業に参加してないので、
(交流学級をしていたのは音楽のみ)
社会見学には参加できないと言われた。

そして、社会見学は遊びではないとも言ってたなぁ。

おそらく次女ちゃんの通っていた小学校の先生方の考えだと思う。
少数人数の小学校の支援学級に通わせていた子のママは、
学年の違う生徒3人をひとくくりで、
その3つの学年のどれかの社会見学に参加させてもらったよ...と言ってた。

その頃、別の先輩ママたちにその話をしたら、
みんなと一緒に行動することや、
バス移動することから社会見学は始まってるのに、
なんで行けないの???と、怒って言ってた。

その後、
数名の先生と面談をしてもらい、
その気持ちを伝えたら、
王子製紙内は髪の毛が落ちないように、不織布のヘアキャップ装着が必須、母同行も必須とのこと。

その際に、シーン2のことがずっと頭に来ていたので、
ついでに言ってみたんですよ。
私『先生、私に怒ったことがありましたよね?』
担任『えっ?私、何か言いましたっけ?』
………………
保護者に対して怒ったことすら覚えてないのか...。
それだけしょっちゅう、生徒に怒ってるってこと?と、
呆れてしまった私がいた。
やはり、喉元過ぎれば熱さを忘れるかぁ。
出来事があったときに、
伝えなくてはいけないなと学ぶ。


次女ちゃんの交流学級の担任は、
大学を出たばかりの新任。
同じ学年の他の3人は、音楽以外にも交流学級に参加してるからか、
おそらく音楽も交流が危うい次女ちゃんだから、
新任の先生のクラスになった???と思ったりもしたよ。

社会見学では、プリントアウトした用紙に、
見学した時のことを記入する冊子をもっていた。

班ごとに見学していたのだけど、
私と次女ちゃんは、交流学級の金魚のフンみたいに、
みんなの後をついていってた。

担任の先生が声を掛けることもなく、
さらに普通学級の先生が支援学級についての興味が薄く、
そして、それを感じる余裕もないのかな?とも少し思ったり。


でもまぁ、
1年の時は、クラスは違うけど、
いつも『おはよう』と大きな声で声を掛けてくれる先生がいたので、
(大きな声が苦手な次女ちゃんは、最初は嫌がってましたけどね笑)
その先生は興味を持って接してくれてたなぁって思うから、
そう思えない先生が多いとしか浮かばへん。


すごく長くなった。
まだ4年生以降もあるのだけど、
今回はここまでにしておこうかな。

情けない話ばかりですが、
当時の私は、なかなか先生に対して言えなかった。

この頃は、
私なりにやれることしか出来なかったし、
当たり前だと思い込んでいた(今思うと妙な)価値観と、
自分の感じた部分がそれとは反していて、
大いに悩みまくって、迷走してた(;^_^A。

まっ、それを通して気づいたことで、
今も気を付けてるのが、
『真剣になるのはいいが、深刻になるな』


(まだ続くみたい…)


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