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大殺し屋社会の掟はキアヌを人たらしめるか?『ジョン・ウィック:パラベラム』

 今更に過ぎるがチャプター3を観てきたので感想。ネタバレ全開。

 終わってみればなんというか、溜め回といった趣であった。しかし話はあんまり進まなくとも、とにもかくにもアクションを中心にした画で客を惹きつけていく、惹きつけられていく、ということに造り手と客が双方合意に至っているので特に問題はないという頭のおかしな映画である。まぁ2の時点でそっちに重心置いたのは知ってたし、3を観に来た時点でそもそもそういう画を観に来たんだよな、おれたちは……だから満足して劇場を出られるわけだ。とても面白かった。

 『ジョン・ウィック』1作目は、所謂「舐めてた奴が実は殺人マシーンだった」系映画の代表作であり、ハードな復讐譚と、それを断固とした意志で遂行するキアヌの目の覚めるようなガンアクションがめちゃくちゃおもろい最高ムービーだった。で、その「舐めてた奴が実は殺人マシーンだった」系映画の枠組みの中で、ちょっとした茶目っ気というか、物語の縦軸から離れたところで独立した見所、おもろさとして置かれていたのが、コンチネンタル周りの設定である。裏社会は裏社会で独自のルールがあり、完全に独立した別の”社会”が存在する、というのはまぁよくあるやつではあるが、『ジョン・ウィック』においては完全に殺し屋の殺し屋による殺し屋のための社会が形成されていた。1の時点で大概殺し屋が多すぎる。殺し屋が受けられる殺し屋限定サービスもあれば、当然のように殺し屋の中だけで通用する殺し屋経済が成立している有様。これがアイデア賞すぎるというか、キアヌの復讐とは別に独立して存分に語れるポテンシャルがある設定がここでポロッと産み落とされてしまったわけだ。正直殺し屋限定トークンが普通に流通してるのは設定としても面白かったし、ケレン味重点スパイものめいて(キングスマンとか)その辺の公共サービスが裏で我々とは預かり知らぬサービスを提供してるってのもベタだが、これが殺し屋限定というだけで一気におもろい。
 で、問題はこれが面白すぎたという。2も一応キアヌを舐め腐った奴がキアヌの大切なモノを踏みにじったので鉛玉ブチ込みに行く話ではあるものの、コンチネンタル周りの設定はすごいことになった。世は大殺し屋時代。街行くあいつもそいつも皆殺し屋。み~んなトモダチ、み~んなアサシンの物騒すぎるNYでその辺歩いてるやつが突然懐から銃抜いてはキアヌが襲撃されまくるという異常な画が展開される。そのおかげで、キアヌのアクションは更に多様になった。多様な凶器、多様な殺し。マフィアをキアヌがヘッショで全滅させる映画を2回撮るわけにはいかないからって、最強の殺し屋キアヌ対大量の同業者という方向にスケールアップさせた結果、アクション面の見所は1作目を遥かに超えて増幅した。そのスケールアップを成立させるためについたフィクションの嘘は、単に”殺し屋社会”がクッッッソでかかった、というだけ。街に潜んだ殺し屋が多すぎて最早わけがわからない。社会、そんな暗殺することある!?君ら全員暗殺者みたいだけどそんな食い扶持あんの!?と突っ込めるポイントは爆発的に増えたが、もちろん映画としては超おもろいというのが罪なところ。なんせこのトンチキ殺し屋社会周りの描写もいちいち発想が良くて手に負えない。アクションもマジで最高。でもトンチキ一辺倒ではなくちょいちょいしっかりキマった画もお出しする。じゃあ花丸付けるしかないよな……

 そんなこんなで3作目。作品の方向性はというと……重心が更に狂った方向に置かれた。まぁキアヌが馬に乗って街を駆けてる撮影風景が出回った時点で完全に知ってたよ。最初に言ったがおれはそれを期待して観に来たんだ。
 とにかくこういう画を撮りたいんだ!という開き直ったような態度は前作以上。キャストにも大量に動ける人間を連れてきており、アサシンびっくり人間ショーをやろうという意気込みに溢れている。というか本当に、こういう画撮りたいな~って出していったアイデアをそのまんま繋げて映像化してるような、アイデアノートの中身をそっくりそのまま推敲ナシで出してない?って感じの過剰積載アクション。俺はこういう画を撮りたい、というのが何よりも優先されている映画だ。それこそバイクのとことか完全に『悪女』観て自分もやりたくなったんだろうな……って感じがある。
 『ジョン・ウィック』のアクションの撮り方は本当に素晴らしく、その見やすさには前から定評があった。つまり、今何やってるのか、どういう攻防が行われてるかが非常にわかりやすい。カメラがガタガタしないしワチャワチャしないしカット割りも綺麗、というか明らかに長回しが多い(むしろ長回しやりすぎてちょいちょいキアヌがしんどそう、55歳やぞ)。3でもその良さはそのままに、とにかく客を飽きさせないちょっとした、オリジナリティ溢れるワンアイデアの数々がよく詰め込まれていたし、なんなら明らかに笑わせにかかってる箇所も多かった。殺し合いの真っ最中にシリアスな笑いを挟むの、ハイカロリーアクションの中で薬味のように効いていて個人的には結構好みですね。3人でガチャガチャリロードするとこもだけど、自分としては序盤に掴み合いからお互いに背後のガラスケース内のナイフチラチラ見るとこがめっちゃ好き。お互いプロの殺し屋として真剣に手近な得物探した結果だから真面目も真面目なんだけど、この直後にヤケクソみたいな投げナイフ連打が始まるのも良い。しかもちょいちょい刺さらずにスコーンって弾かれてるのとか最高過ぎたね……
 そのアクションを彩るは国際色豊かなアサシン達。お国柄の出たご当地暗殺者達が多彩なファイトスタイルでキアヌに襲いかかる。アサシンファイト国際条約第一条!頭部を破壊された者は失格となる!中でも一際輝いていた、というか明らかに一人だけ格が違ったクォロシノタツジン、最高。最初の顔見せシーンが既に最高だった。アサシンの……スシ屋!のスチル画が出回った時点でゲラゲラ笑ってたけど実際出てきたモノは想像の数倍はヤバかったな。加減しろ。最初コテコテのジャパニーズイングリッシュ(メ~アイヘルプユー?)で来店した裁定さん出迎えた直後、相手の素性を知ったら即ちゃんとした英語に変わるとことかは一流のニンジャって感じでゾクっとしたんだけど、それはそれとしてあの辺のくだり丸々サイバーパンクっていうか完全にネオサイタマで、あそこだけでメシが食えるレベルに仕上がっている。NINJA RE BANG BANGいいよね……。観客が求めているのはJAPANではなくNIPPONなんだよな。そもそもマーク・ダカスコス兄貴は本来めっちゃ日本語ペラペラなのに出てくるのはオマエヲコロスノハオレダ!だから本当に笑ってしまう。”日系人が演じるニンジャ”を完璧に演じるのは卑怯に過ぎる。あのジョン・ウィックファンボーイ要素も演者自らなんかこのキャラパンチ足りなくない?って入れた要素らしいし、実際その要素自体もキャラ立ちに完璧に作用していた。結果的に出来上がったのはカタナを用いるスシ屋のニンジャアサシンでジョン・ウィックファンボーイという設定の過剰積載キャラであった。こんなに見ていておもろいキャラもいない。あの『ザ・レイド』でシラット使いやってた弟子二人まで良いキャラしてたもんな……
 キャラといえばハル・ベリーも超良かった。モロッコのアクション長回し、キアヌと合わせて108歳とは思えないぞ。『キングスマン2』でそんな動かない役やってたのが勿体なく思えるレベルに動いてくれる(犬を交えたガンアクションが大変斬新で良かった。撃った弾が全部致命になる殺し屋に相手絶対足止めするお助けドッグを2匹も寄越すな)。もちろん一個のキャラとしても素晴らしく、犬のくだりはもちろん、個人的にはあの砂漠で別れるとこの水渡すシーンが気に入っている。

 で、アクションの一方物語はというと、アクション重点のアオリをモロに受けていると感じた。撮りたいシーンを全部繋ぐ接着剤としての話があるくらいの感じだ。詰め放題のアクションを買い物袋にパンパンに詰めた結果、最早ストーリー突っ込むスペースが存在していない。また個人的には、今回のキアヌもクッソ強かったが、おれはやはり、バーバヤガやってるキアヌがまた見たいのだという思いがある。
 無印のキアヌは孤高の猟犬であった。獲物を地の果てまで追い詰め、必ず殺す。しかし、むこう2からずっと、逆にキアヌが追われる側という感じで、今回も”Hunting”という感じは薄い。おれとしてはまた、あの純然たる殺意にキマった目でクソ野郎の命を刈り取りに現れるバーバヤガをもう一度スクリーンで拝みたいと思っているのだ。
 ただ、話について語るところがなんもない無味乾燥かと言うとそういうわけでもなく、「掟が獣を人たらしめる」というテーマ周りに関しては見所があった。2以降で解像度が上がった殺し屋社会はこっちのイメージを遥かに超えてルールや面子に縛られており、「義理」や「報い」といった概念が非常に重みを持っている。2の時点で思っていたんだがあの殺し屋社会、大概任侠の世界だよな……。貸し借りを絶対に重んじ、舐められたら終わりなので面子を何より大事にするコンチネンタル、及び”主席”周りの設定が3で更に突き詰められ、今回はガチガチの掟で縛り付けられ、ルール違反を血で贖う殺し屋社会の構成員達が印象的だった。

 今回の『パラベラム』で全編に渡って描かれた”掟”。掟は獣を人たらしめる、それを作中で繰り返してきたジョン・ウィックシリーズであるが、今回に関しては結局「そんなルールはクソだ」というための話であったと思う。掟は確かに獣のような、野良犬めいた殺し屋達に秩序を与えている。石を投げたらどっかの殺し屋に当たるようなあの世界で、殺し屋を一つにまとめている。
 さて、今回キアヌは一度、主席連合に忠誠を誓ったが、ウィンストンとの会話を通じてそれを反故にした。それは、今後掟に永劫縛られるということは魂を売り渡すということに他ならないからである。主席連合の子飼いのイヌとしてではなく、妻を想う人として死ぬことを選んだからだ。ここに今回の話のキモがある!掟は獣を人たらしめるかもしれないが、掟に縛られる人は所詮、首輪で繋がれた犬に等しいということ。掟が獣を人たらしめる一方で、人だけが掟に中指を突きつけられる。そう、キアヌは一個の人であり、同時に孤高の猟犬なのだ。主人に尻尾を振る子飼いの犬ではない、気高い獣なのだ!だからこそ、3の終盤の展開は、キアヌが再び理不尽に対し憤り中指を立てるラストは、孤高の猟犬たるキアヌをもう一度見たかったおれにとって、手叩いて喜びたくなるようなものだったのだ。そうだ、それでこそジョン・ウィックだ。気高い獣であれ。

 そういうわけで今回のラストシーンは、次回に向けての盛り上がりを、将来のカタルシス否応なく感じさせる見事なものであったと思う。確かに今回キアヌはほとんど前に進んでいないが(結局行って戻っただけ)、その旅路の中で一度抜かれた牙を研ぎ直すことになった。次こそはキアヌに能動的に殺しに動いてもらいたい。というか次あたりで一発カマしてくれないともうキアヌ55歳なんだが。2で思いの外当たったし3も好調ということで上の人間は続編作りまくりたいだろうけど。
 近い未来にまた会えるであろうジョン・ウィックが、今度こそはあのクソッタレに牙を剥き、影から現れ人を喰らうバーバヤガであることを、おれは強く願っている。

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