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無数の物語の種を蒔くコンテンツの可能性。 あるいは"運命力"の実在について。

数日前の晩、友人が滞在先に遊びにきてくれた。
仲間と共同管理している建物で、3階建の建物をセルフリノベーションした場所である。前橋にあり、年越し前から一週間くらい滞在していた。
料理をつつきながら、住んでたり遊びにきたりした何人かと飲み明かした。

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2019年にセルフリノベーションした建物「花園ファミリア」
ある夜のリビングの風景
[photo by 金井里奈]

朝目覚めて、昨晩の残り物を温め朝食を摂った。

食べ終えてのんびりしていたら、そういえばと友人がスマホの画面をこちらに向けた。「ここに行ってみてほしい」と見せてくれたのはインスタのアカウント。
大学のジャズ研だった後輩が大工をやっていて、面白そうな場所を拠点にしているとのことだった。
今春から僕が旅を始めると話したのをふと思い出したのだろう。
旅の途中で立ち寄ってみたら面白いのではと教えてくれたのであった。
こういうおせっかいがすごく嬉しい。

建物の古い造形を活かした改装や、古材を組み合わせて製作された什器や雑貨などの作品は丁寧で洗練された印象だった。人の集まる場所も自身のオフィスとしてつくっているようであった。行ってみたい、会ってみたいと思った。僕はたぶんここへ行くことになるだろう。

こんなふうに「そういえば」から始まる話がすごく好きだ。

用意されたものでなく、偶然に、いろんな状況が重なって現れる物語の種にわくわくする。そこに一歩踏み出すかどうかは自分次第で、飛び込むと予想を超えた出来事に遭遇したりするものだ。

偶然もおせっかいもどこに因果があるのか分からない。
たまたまそうなったということにすぎない。
そう言い切ることは簡単だけれど、偶発的に生まれる物語の種に恵まれやすい性質というものは実在すると考える。

例えば、漫画家の水上悟志はそれを「運命力」と表現しており彼の作品ではそれが重要なファクターとして機能している。

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漫画「戦国妖狐」より。
道練という僧侶が物語の終盤にて幼馴染の神雲と闘うシーン。
神雲は生来から優れた能力を有していたが、道錬は才能や能力が低くとも、よく笑い、出会う人や環境に恵まれる人物だった。
そして最後には培ってきた全てで圧倒した。
運命力とは人の生き方や性質で大きく変わりうるのではないか。

"無数の状況が重なって偶発する物語の種。それに恵まれる性質"を"運命力"と定義してみよう。

この運命力に、コンテンツやひいては人生を切り開く可能性を感じている。

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去年の春、友人と借金をして資金を作り、仲間を集め1Fに花屋のある建物を改修した。事務所とリビングと住む部屋と、最低限人が住まい作業のできる環境を整えた。
花屋の名前が”花園”で、"花園ファミリア"という名前をつけた。
未完成故に起こる変化に期待したいからとガウディの設計した教会"サグラダファミリア"からファミリアをとり、半分駄洒落のようなネーミングである。

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「花園ファミリア」外観
1Fに古い花屋さん、2,3Fを改装し拠点化した建物。
[photo by 金井里奈]

始めた理由は、やりたいことの実現にもがく人たちを集めたかったのが大きな理由の一つ。一緒にやっていきたい仲間には、自分の利益と同じくらい、他人に優しくできるお人好しな人を求めた。個々の目的が重なり、みんなが幸せになる方法を模索できるのではと期待した。

まだ一年も経っていないが、ずいぶんと関わる人が増え変化が生まれた。

例えば、よく遊びに来るゆいなちゃんは今春から前橋の出版社に勤めることが決まり、今はこの建物に住みたいと言ってくれている。
お人好しのシンヤは、新しい教育の形を実践したいと言いこの場所で少しづつ試している。
改修の手伝いを楽しんでくれたヒデは、もっと深く関わりたいとここに住み、花屋のお手伝いまでするようになった。
一緒に借金をしたコウキさんはスポーツトレーナーとして活躍する夢を実現しつつ、ここを新たな故郷のように思っている。
僕自身、ここを好きになってくれる人が増えて、新しい物語が続いていくことが何より嬉しい。

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「花園混沌祭」
現職教師のシンヤが企画した"課外授業"第一弾。
トークショー、DJ、飲食、花など混沌とした要素に溢れていたが、
社会で生きるための学校外の学びが反映されていた。
学生も大人も合わせて100人近くの人が訪れた。
[photo by 金井里奈]


いろんな人がここに何かを期待して、集まるようになっている。
個々の目的が重なり合って、少しづつ大きな動きが生まれようとしている。
たくさんの物語が生まれ続けるこの場所は一冊の本のようだとも思う。

ここがあることで、運命力の存在をコンテンツに応用する方法に手応えを感じることができている。

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因果が不明瞭なままに、だけど無数の物語の種を着実に蒔くという手法はなにも画期的に新しいものではない。
口コミで広げるとか、紹介を促すとか、人伝てに現象を生もうとする広報手段もそれにあたる。
Takramの渡邉康太郎さんの定義する弱い文脈の強さも結果的にはそういった現象が起きうる土壌作りともとれる。
また最近の事例ではgo breakthrough companyによるメルカリの新聞折込チラシなんかもそうだろう。

メルカリ

「新春なんでも鑑定だ!in実家」とTV番組のパロディのようなグラフィック。帰省シーズンで帰った子供たちが実家の両親に"メルカリ"の使い方を教えられる状況に合わせて打った広告なのではないだろうか。

偶然やおせっかいが生まれる状況をつくるコンテンツ。
あるいは運命力に期待したコンテンツ。

義務でもなく強制でもない、けど現象が起こる確度を高めるコンテンツの作り方というのはある。その可能性に無限大の可能性を感じる。
何か予想を超えた出来事が、無数に、そこらかしらで起きるかもしれない種を蒔こう。

一生の師に出会うとか、掛け替えのない友人ができるとか、恋をするだとか。

誰かの人生に大切な物語を生む、そんな現象を起こしたい。

人生を豊かにする出会いには、少なからず運命力の存在が作用していると僕は確信している。

「運命力を根拠としたコンテンツの作り方。あるいは「幸せの黄色いウコンバン」の取扱説明書について(仮)」に続く。
2020.1/7(tue)


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