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日記(マンガ描けない、アニメの感想)

日記

 完全にやる気を失ってしまった。嘘の必然性(この作品を描く必要があるという確信)をもって、いつもマンガを描いているのだが、それがイベント5日前にして消えた。

 まるですべて終わってしまったかのように、内容が意識の外にある。ずっと考えていたことも、もうとっくの昔に終わったことのように感じる。

 イベントに何もださないわけにはいかないという気持ちで、ペンを持つも、何を描いたらいいかわからなくなってしまった。昔描いた絵に加筆するくらいの障壁を感じる。

 こうなった以上一から作り直した方が良い気がする。今日なにかあってモチベーションが復活するとしても二日間ほぼなにもしなかったために完全にスケジュールは成り立たなくなってしまった。(2日サボるだけで成り立たなくなるスケジュールな時点でおかしい気もする。)

 何か描かなきゃという気持ちをいったん忘れるためにいろいろアニメを見た。以下感想。

見たものの感想

 ヒプマイ2話。1話も素晴らしかったが、2話はさらに面白かった。バカアニメなんだけど、「勢いだけのアニメ」を演出するためにすべてをしっかり作っている感じがする。いきなりワープさせちゃう演出とか、振り落とさない程度に視聴者を振り回すのが巧い、と思う。たこ焼き食って「オクトパシー」って感想を言わせるのはただごとではない。しかもそいつらがアニメオリジナルキャラと知ってめちゃくちゃ笑った。蛮勇が過ぎる。

 プリチャン121話。プリチャンは久々に見た。相変わらず雑な設定だったけどニコニコ動画のコメント付きで見られたから面白かった。あとルルナがかわいい。話としては他者によってアイデンティティと生存理由を定義づけられたあわれな家畜たちが、所有者への盲従を心にやきつけて頑張る回で、とてもくだらなかった。ちょっと誇張したが冗談ではなくキラッCHUたちは自我を獲得することのできない家畜でしかない。
 家畜が家畜をやっているだけの映像に感動があるわけないのだが、そんな哀れな存在ゆえのかわいさがあるなぁと思った。稀有なアニメだと思います。次回は夢川ゆいが出るので見ようかと思うが、プリパラとプリチャンでは描こうとする人物の在り方がだいぶ異なるようなので人物としての同一性は考えない方が無難かも。

 「魔女の旅々」を見た。1話では主人公の成長して魔女になるまでが描かれるのだが、その世界における魔法がどんなもので、何に使われ、その世界においてどのように運用されているのか、いっさい説明がないのでポカーンって感じだった。主人公は薬の調合とか、ホウキで飛んだりしていて、ほかの魔女も街の民家に定住しているところからすると、魔女の宅急便みたいな感じの存在(便利屋さん)かと思ったら、主人公の師匠が「主人公に挫折を与えるため」に現代の歩兵火器を凌駕する戦闘魔法をぶつけてくる。いったいなにをする職業なんだ…?
 まあ要はハリーポッターに出てくる魔法全部載せってことでしょう。でもハリーポッターでは巨大な学校で、独り立ちしたあとの専門も分かれているのに、この作品ではマンツーマンの内弟子制で薬の調合から殺人魔法までできる万能な人間になるようだ。無理があるだろ。作品世界への想像力が後退していないか?
 アニメで描かれなかった「魔法学校」はハリポッタみたいなんだろうとは思うけど、そのあと一人前の資格を得るための魔女は誰でもいいようであるから、あの作品世界では魔法の専門みたいなのは分かれていないのだろう。本当にわけがわからないよ。
 2話をちょっと見たら、そんな恐ろしい魔女たちはフリーランスで生きているということで、その世界の整合性を気にする方がおかしかったのだと気づいた。ただ「キノの旅」と比較する声もあったけど、キノが医師免許を持ったうえで戦車砲を連れまわしながらバイクの代わりに自力で空を飛んでいるようなもので、しかもそんな存在がそれなりに多く存在するようなものだぞ。なんつーか良くない雑さだと思う。

 1979年の角川映画「蘇る金狼」を途中まで見た。セリフの大部分がアフレコなようでリアリズムはないんだけど(そもそも角川だし)、そのおかげでセリフの間がアニメのようなテンポ感で大変見ていて面白い。松田優作かっこいい。顔立ちはそんな好きじゃないんだけど、雰囲気がええなあと思った。暗いシーンによく映える。なんとなくアメリカンニューシネマの影響を感じるカットや展開が多いんだけど、根底で明るい感じが出ているのがとても見やすい。
 

にょ