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日記(秋葉原文明)

 ここんところいろいろあって精神が消耗して回復しないまま数日過ぎた。

 そういうときはわりと作品に対しての感情の振れ幅が大きくなるもので、NHKの教養系のまじめな番組を見て泣いたりした。

 NHKオンデマンドで見られる「文明の道」おすすめです。たぶんふつう泣くようなものではないと思いますが、ユーラシア大陸の名もなき人々の文明を越えた交流と衝突が今残る都市の映像を通して描かれるのでエモい。


さて話題変えます。いままで細々とはてなブログ(はてブ)やっていたのをnoteに変えた理由は「記事ツイートがどれだけリツイートされても、誰もはてブの機能でいいねしたり、フォローしたりしてくれない!なんか寂しい!」ということからだったのです。が、noteに代えても結局その点はほとんど変わりませんでした。まあ僕のまわりにいる人でnoteの書き手やっている人少ないのでしかたない。

 しかしせっかくnoteにしたのですから文章をうまくなるためにもちゃんとビューを稼ぐことをしたいと思います。ということで募集中のタグというやつを見てみたんですが、「#私の仕事」とか「#部活の思い出」とか、そういう感じのまっとうな自分語りを書かせるタグばっかりでなんとも選び難い。そもそも仕事してないし……。

 もっと「#地縛霊になったらやりたいこと」みたいな大喜利みたいなタグ用意してほしい。などと思う時点でnoteに向いてないのでは?前途多難。

 昨日の日記で街のイメージはそれを題材としたり想起させる作品とかに寄るだろう、みたいなこと書いたんですが、そういう作品によって構成されるイメージ性(=虚構性)がもっとも強く自分にとって感じられるのは断トツで秋葉原ですね。

 そのため「COMIC Virtual Market」のバーチャル秋葉原(実際に自分ではいけなかった)とか、MMDで再現されたバーチャル秋葉原とか見るととてもうれしいですね。だってバーチャルでそれっぽく再現されたデータの方が自分の身体に根付く秋葉原イメージに近いような気がしますから、現実以上に存在感を感じられるんですよ。

 対して現実の秋葉原に行くと切り取られたイメージとは違う重層性が感じられて面白いですね。昔港湾だったころの名残とか国鉄の中核駅だったころの名残とか、そして戦後の電気街の生き残りとか、「オタクの町」という看板には無い歴史的なかさなりが見えてよい。「文明の道」だとサマルカンドや中央アジアにあったアレクサンドリアなど、交易都市の盛衰が語られていてロマン溢れるのですが、僕は現実だと秋葉原にそういうものを強く感じるんですなあ。

 ただまあ80-90年代くらいのごちゃごちゃした電気街としての秋葉原に親しみがある人にとって観光地化されたいまの秋葉原は面白くないって思うのもよくわかります。俺が初めて行った2009年頃の時点でだいぶ観光地化が終わってましたが、その時よりもさらに変わった感がある。チェーン店が多くなっているよね。

 このことについて、想起する話を紹介して終わります。日本文学者のドナルド・キーン氏が1950年代に京都に住んでいたころ、京都をほめると日本のいろいろな文士や学者から「今の京都は文明化されきってしまってダメだ」的なことを言われたそうです。それに対して、たしかに今は変化しまくった姿かもしれないが、私は今の京都がふつうに好きなんだからそれを非難されるのは嫌だ、と思ったとかなんとか。

 手元にないので曖昧な記憶で書いています(よくない)。気になった方はぜひ原文を読んでね。ほかの箇所も面白いです。

 つまりキーンさんにとってのこの京都が俺にとっての秋葉原かな、と思うわけです。

 そもそも都市は変動しつづけるものなので、「都市を、場所を愛する」ということは、変わりゆく天気をいつくしむのと同じくらい曖昧な流れのなかにある文化なのだと思います。

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