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発達障害について書こうと思ったのじゃが……

 精神科でASD(自閉症スペクトラム障害)の診断を得ている無職のものです。

この東洋経済の発達障害者のルポを読んで、いろいろ考えました。

  で、自分が診断を受けたり知能検査を受けたりしたときの話とか書いてたんですがある理由でお蔵入りさせました。ただ、書くべきことは抄として出させてもらおうと思います。


 この記事は発達障害の生きづらさから、ひいては社会全体の問題まで見えるすごくいい記事だと思います。

 ですが、ここで記事の方が言われている「ウェスクラー式知能検査を義務化すべき」という意見ついて。まあ義務化はさすがに非現実的なことを前提に、例え話的に言っているのだと思いますし、ウェスクラー式のような医学的信頼性のある知能検査をもっと受けやすくしてほしいと僕も思っていますから基本的に同意です。じゃ何が不満なんだ。

※補足説明:ウェスクラー式とはたくさんの検査からなる知能検査。細かい知能のジャンルごとの指数を出してくれるので、その人の特質や人より苦手な面を見るのに大変便利な検査で、大人の発達障害に関する知能検査は基本これです。たとえば一般にIQテストとしてイメージされる図形を見て規則を見つけるような奴はウェスクラー式(の一つ、WAIS-3の場合)では14分の1の小ジャンルにすぎません。

 最近ではいろいろな方の啓蒙により認知度は上がっている気はするのですが、「ウェスクラー式で高い指数と低い指数がバラバラに出る=発達障害」と見なされていったら、そうでない発達障害の人にとって生きづらくなりそうに思うのでそれだけじゃないんだよ、という記事を書こうと思いました。

つまり、指数を並べた表を見たときに、全体的に高い人、全体的に低い人もいるんだってことです。とても低いと知的障害の範囲になるそうですが。

で、自分の経験をもとに4000文字くらい書きましたが、どうにも嫌な感じがしてお蔵入りさせました。

というのも私は全体的に高い方なのです。細分化されたIQを見ても平均を下回るものはなく、群指数(中位カテゴリ)は全部120以上だそうで、ぱっと見では知能の面でなにも欠陥のない人間に思われそうです。

ちゃんと見ると発達障害特有のばらつきが無いわけではなく、個々の検査の結果を見ると、相当上位の指数を出したところと平均のところでかなり差があるので、実際判断の目安として発達障害の可能性を示唆するデータにはなっているのですが、
つまり「生来人よりできないことがある」ことだけが発達障害の生きづらさではないってことです。

もしくはウェスクラー式では可視化されない「できないこと」があると言ってもいいかもしれません。

私は「人並みにできること」でも「自分の興味があってやりたいこと」に隠れてすっとんでいって、可能不可能で言えばできることでもまったく手につかなくなってみたいなタイプで、そういう人もいるんですって紹介をしたかったのです。

お医者さんには「そういうタイプの発達障害者もいる」って明言されたのですが、ネットでは全然そういう人のことは見ないのでいざ書こうと思いました。

しかし自己のIQについて説明するのって本当に苦痛で、キモいマウントに見えないかとか、ほかになにも無い人間なような気がしないかとか、いろいろともやもやしたことをおもってしまいました。実際読んで不快な気分になる人はいるだろうな、という感触はあります。
ふつうに生きるうえで、人間の知能を偏差値(IQは偏差値の一種)で分類したりしませんから、そのことに誰しも嫌な感じがあると思います。

我々にはそうやって暴力的に数値化する必要があるので、しかたないと思っていても、不快な文を書くのにつかれたのであります。つかれすぎてタイトルものじゃロリになっちゃったのじゃ。

日記

 ネットフリックスで「ミッドナイトゴスペル」を2話まで見ました!すげえよかった!

物語というかインタビューのすごさを味わいにいったらアニメートが素晴らしくて腰が抜けた。

近年の海外アニメにしてはめずらしく、中割り(原画を補間するコマ)が少ないので、原画のキレのある絵が感じられてかっこいい。

予算の関係でそうなってるのかと思ったら2話で金田系アクション(伝説のアニメーター金田伊功に端を発するアクション作画の系譜)をやっていたので、これは日本のアニメとかに影響されて、あえて中割り少なめの作りにしてんだってわかった。

中割が多いと目に残る残像が多くなるから体感スピードが下がってしまって、わては最近の海外アニメ見ると(映像的にテンポよくても)たるく感じちゃうんだよね~。
だからもっと作画枚数減らして緩急つけてくれてもいいけどね。

今日ようやっと漫画をツイーチョできそうです。

にょ