【2022冬欧州の旅】12日目ドレスデン①
2022.02.15 ドイツ時間19:47
グーテンターク。
ドイツはドレスデンに来ています。
8:30ライプツィヒを出発して、例に漏れずフリックスバスで移動〜。
今日もドイツは晴れています。嬉しい!
ライプツィヒ〜ドレスデンはバスで1時間強。
牧草地帯に風力発電機、たまに現れる小さな町がだら〜っと流れていく、そんな景色です。
相変わらず平坦…。
昨日はあまり眠れませんでした。
寝る直前に寝床でビールを飲んだのが良くなかったのか。ホステルの部屋には私以外誰もいなくて全く睡眠を阻害する要素がなかったんですけどね。にしても、初海外ホステルが無人というのもなんだか寂しい。
ウトウトする間も無くあっという間にドレスデンです。駅↓
駅の構内には必ず数軒のパン屋があるのでそこでサンドイッチとコーヒーを朝飯にするのが定番になりました。毎回、パンの名前が言えなくて、指差しで店員さんに確認してもらうのなんとかしたい………。
駅から出て、今日泊まるホステルにバックパックを預けます。
行きがけに、見るも無残な亡骸が…。
ベルリンでもそうでしたが、サドルや車輪のない自転車がそこら中にとめてあります。部品だけでも金になるのでしょうか。友人曰く、ドイツ人は自転車本体よりも鍵の方に金をかけている。新しい自転車を買ったらすぐにペンキで車体を汚す人もいるのだそう。ドイツ人というよりヨーロッパ全域、世界的(?)にこんな感じなのでしょうか。日本て平和なんだなぁ、とつくづく。
ホステルはこんな感じでした。
もはやマンション。ヨーロッパ全域のチェーンのようで、2000円前後で一泊できてしまいます。欧州旅ではこの先もお世話になりそうです。
荷物が軽くなったところで、街へ出陣!
今日はエルベ川を楽しみにしています。
中心街の南側は大きめのショッピングモール。
東京のどっかの街と変わらんな。
朝早くからモールの前には行列です。なんだろう、バーゲンセールかな。
…いえいえ、コロナ入場規制でみんな並んでいるんですねー。いちいち面倒だけれど、これが今の欧州流コロナ対応。ドイツも早くスウェーデンみたいになるといいね。
私も、陰性証明をもらうためにテストセンターに並びます。今のところ、どこへ行ってもテストセンターには困らない。
今日も無事陰性ということで、やっと観光に行けます!
見えてきた見えてきた…。
昨日訪れたライプツィヒよりも、旧市街の規模が大きい気がします。
古い建物もよく残っている…と思いきや、教会などの建築物は戦後街の人たちで立て直したそうなんですね。ドレスデンの街も、第二次世界大戦で空襲の被害を受けていたそうです。降伏するまでにドイツ全土がどのくらい空襲を受けていたのか、後でちゃんと調べようと思います。
広場に面しているこの教会が聖母教会です。
以下、wiki情報。
1945年2月13日のドレスデン爆撃で破壊されたのち、瓦礫の山が45年も放置された。(驚) これだけ長い期間放置されたのは、ドレスデンの市民が教会再建を目指していたため。東ドイツ政府はそれを黙認。その後も廃墟が政府への抗議活動の拠点になった。2005年に復建完了。
…と、かなりざっくりですが、めちゃ面白い背景がありました。
再建のためにも、基金をつくって国内外から寄付を募ったり、オリジナルの素材を元の場所に配置するために瓦礫の山から一つ一つ石を取り出して、写真や証言で一から組み立てたというから、みなさんの意思の凄まじいこと…。
参拝者の持っていた写真をかき集めてドアを作り直したという話もあり、自分が何気なく撮っていた写真もこういう形で思いがけない貢献を果たすかもしれないなぁと勝手にワクワクしてしまいます。その前に設計図は残していなかったのか、という疑問もあるのですが。
ドイツに限らず、戦後のヨーロッパや日本のまちがどのように再建されたのか、そこにはきっとお国柄や政治的な意図、市民の関わり方など色んな要素が絡み合うはずで、全て調べ出したらキリがないけれど、そういう視点からも街歩きを楽しみたいなぁ、と思いました。(大学の時に東京まちの戦前戦後の変わり方を調べている教授がいたな…あれ面白そうだったのを思い出した。)
13〜16時の間、教会内部が開放されていました。せっかくなので載せておきます。
そして、旧・新市街地を隔てるエルベ川〜。
アウグスト橋にて、気になるものを見つけました。
…なぜここに北斎…?
オブジェの下部にドイツ語で何か書いてあります。「洪水」という字が読めたので後で調べてみました。
2002年に異常な雨量でエルベ川が氾濫したそうなんですね。宮殿なんかも水浸しになるくらい。川から街まで、かなり高さはあったのですが、それを越えるくらいって相当氾濫したんだな…。その時の記憶として、このモニュメントが置いてあったのでした。北斎の絵にインスピレーションを受けたものだそう。
ドイツに天災のイメージは全くありませんでした。過去に何度か橋も決壊しているようなのですが、川岸に堤防らしきものは見当たらないし、次大きな洪水が来たらどうするんだろう…。日本ほど激しい雨は降らないと思うのですが、自然との付き合い方も日本と少し違うのかな、なんて考えてしまいます。
川に関連して、橋については、第二次世界大戦の時に攻め込んできたソ連軍の侵攻を阻止するためにナチス率いるドイツ軍が、ほとんどの橋を壊してしまったそう!!戦争が終わった直後、本当にこの街はボロボロだったんだな…。
まだ聖母教会とエルベ川のことしか書いていないのに、調べ出したらかなりのボリュームになってしまいました。ほぼ受け売りだし、今日知った浅い知識のみなのですが、備忘録として残させてください。
後半戦は、また次の記事にて。チュ〜ス!
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