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旅の記憶 上海でのこと




少し話が前後するが、上海でのことを少し書こう。

鑑真号を降りた僕たちは、拍子抜けするほど簡単に税関を抜け、徒歩でホテルを目指す。
事前に先輩から、船を降りたら客引きのタクシー運転手が群がってくるけど、歩いて行けるところに良いホテルがあるから、と聞いていたので、僕たちは客引きの片言の日本語に足を止めることもなく、港を後にした。


ちなみに当時の中国のタクシーには、メーターがついてないので、乗る前に値段こ交渉が必要だったり、
「メーターがついていても、日本人が乗ると運転手が秘密のボタンを押して料金が出鱈目に上がっていく」
とか、「メーターが壊れているからと、運転手が出鱈目な料金を言ってくるから、事前に料金交渉をしておかなければダメだ」とか、とにかく初めての旅行者を不安にさせる情報がたくさん飛び交っていた。

港から歩いて20分くらいだろうか、僕たちは 浦江飯店という名のホテルにたどり着いた。

ホテルに入ると、早速一緒に歩いてきた先輩と、おじさんが、カウンターで服務員と中国語で話し始めたものだから、僕は慌ててリュックから地球の歩き方を取り出して、巻末の旅の会話集のページをめくった。(めくったところで何も解決はしないのだけど。)


初めて聞く中国語は全く理解ができず、冷や汗をかく。
旅慣れた人と一緒にいなかったら、多分ホテルにチェックインも怪しかったと思う。


幸い、船から一緒に歩いてきた4人分のベットが空いているということで、そのまま僕たちはホテルにチェックインすることができた。
ホテルはドミトリー(多人房)形式で、僕たちの部屋にはベットが8つあって、僕の他に5人の日本人と、ドイツ人の旅行者、カナダの旅行者が1人づついた。

ホテルは歴史を感じさせる趣のある建物で、中には手動で開閉する扉のエレベーターがあったりと雰囲気はすごく良かったのだけれど、一泊33元(約430円)という値段は貧乏旅行の僕にはちょっと高めの設定だった。


荷物を置いた僕たちは、そのまま歩いてホテルから外灘と呼ばれる川沿いの道を歩き、南京路と呼ばれる通りに繰り出した。
上海の街は、人と車がやたらと多い上に、やたらめったらクラクションが鳴り響く、また通勤時間でもないのに、自転車で走る人の姿が一日中見られるものだから、旅行者の間で「あれはきっと 1日中自転車に乗るのが仕事の人たちなんじゃないか」、なんて冗談が出るほどだった。

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近代的な背の高い大きなビルもちらほら見えたけれども、10階建てくらいの工事現場の足場が竹で出来ていたり、裏路地に入ると道端でカエルやカメを売っていたり(多分食用)、露天や屋台もそこかしこにあって、とにかくいろんなものがごちゃ混ぜになっている感じだった。
その日は、いろんなことにいちいち驚きながら、みんなで街を練り歩き、なぜか、南京路で見つけたケンタッキ—で食事をとり(なんでわざわざ初日にそこに入ったのか、今思うとかなり疑問だ)ホテルに戻った。


その夜は、同室のドイツ人が、英語と中国語が話せるということで、カナダ人とドイツ人が英語で、おじさんとドイツ人が中国語、僕たちは日本語で、3ヶ国語が入り混じりながら、情報交換に始まり、それぞれの旅の話や、お互いの旅行以外の趣味や仕事の話なんかを話して過ごした。


ドミトリーで過ごす、異国の旅人との交流や、日中街で感じた色々な初めての事に、興奮しながら、上海の初日の夜は更けていった。


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