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[#24] 脳みそを使わせるインターフェース

初出: MacPower 2002年 6月号

前々回、Finderのフォルダーとウィンドウの1対1の対応が崩れたことを指摘した。読者の方の反応も結構よかったようなのだが、ちゃんと説明し切れていない感じがしたので今回もう一度、その重要性を書いてみようと思う。

まず、コマンドラインのインターフェースから話を始めよう。Mac OS Xには、コマンドラインでコンピューターを操作する「Terminal」というツールが用意されている。キーボードからコマンドを入力するという操作は、見た目的にも何かいかにもコンピューターという感じがするため、昔からのMacユーザーには毛嫌いする人も多い。Terminalが本当に嫌いというよりは、Terminal の背後にあるコマンドライン文化が流入してくることへの警戒感[*1]が、何となく拒否感に結びついているだけではないかなと思う。

CUIの欠点はいろいろあるが、利点も確実にある。何しろコマンドを直接入力するわけだから、効率よくコンピューターに指示が出せるのだ。例えば、「今日1日で変更されたファイルをまとめて圧縮して、適当な場所にバックアップする」などの処理が1行で書ける。また、これはUNIX文化が生み出したものだが、単機能の小さいツールがあらかじめ用意されており、それらを組み合わせて複雑な仕事をこなすことができる。これをGUI環境で実現するのはかなり難しい[*2]。

では、CUIの欠点は何か。コマンドを覚えておかなくてはいけない、コマンドの打ち間違いが怖い、画面が華やかでない - などあるが、まあ、これらは利点と比べるとあまり重要でないだろう。

CUIの本質的な欠点は、頭の中で状況を把握しつつ作業しなければいけない、ということだと思う。画面に見えている限られた情報では、当然すべてを把握することはできないので、ユーザーが状況を適度に記憶しつつ作業をすることになる。これが決定的に面倒くさいのだ。

例えばファイルをコピーするには、「どのファイルをどこにコピーしろ」というコマンドを入力する。このとき、「どのファイル」「どこに」「コピーする」 というすべての要素を、コマンドを入力している間に記憶から呼び出さないといけない。そして、これらをすべて頭の中で構成したうえで、コマンドという1行に表現する必要がある。大したことがないように思えても、実は脳みそを結構使うのだ。しかも1行の短いコマンドでも、状況によって行われる動作は違う。それが混乱を生むわけだが、これは「状況」が目に見えていないことの弊害にほかならない。

結局、コマンドラインで操作する場合には、人間の脳みそをコンピューターのメモリ一の代わりに使うことになる。そして、記憶している情報とコマンドラインから実行される操作が一体となって、初めてCUI環境を使いこなすことができる。ちょっと大げさだが、これはつまり、人間がかなりコンピューターに歩み寄っているということだ。その度合いは、MacやWindows などのGUI環境に比べると、圧倒的に高い。

それに対してGUI環境は、はるかに人間の脳みそに優しい。状況を目で確認できるからだ。これは、GUI環境の最大のメリットである。画面上にはいろいろな情報が表示されているので、人間はいちいち記憶しておく必要がない。例えばファイルコピーでは、コピーしたいファイルやコピー先が目で確認できる。しかも 、モノを移動させるという現実の動作をメタファーとしてマウスの操作に当てはめられるので、何をしているかをあまり意識せずに作業が行える。

このためCUI環境に比べると、「脳みその消費が少ない=ほかのことに脳みそを使える」ということになり、そのぶん本来の作業に集中できる。クリエーティブな仕事にGUI環境が向いているのは、こうした事情もあるのだろう。

じゃあ、GUIなら何でもいいのかというと、そんなことはもちろんない。脳みその消費という観点から見たときに、やはりレベルの差がある。新旧Finderを比べてみよう。

新しいFinderでは、フォルダーを開いたときの位置が一定していない。これは、カラム表示の導入などにより、フォルダーとウィンドウの1対1の対応が崩れたことが本質的な原因だ。このため、画面上にあるFinderのウィンドウを目にしたときに、あるウィンドウがどのフォルダーのものかを判断するには、中身のアイコンやタイトルバーの名前に注目するしかない。

当たり前だと思うかもしれないが、そんなことはない。例えば、Macユーザーなら、デスクトップの右上にあるアイコンは起動ボリュームだという事実は、そのアイコンの名前を見るまでもなく判断できるだろう。ままた、左端にあるのが「」メニューだということも、一瞬の判断さえ必要とせずに認識することが可能だ。これらの場合、名前やアイコンの形よりも位置が重要な意味を持っているのである。この、画面の中における絶対的な位置が重要な意味を持つということが、GUI環境の隠れた利点なのだ。

旧Finderが、この絶対位置というものを大事にしていたインターフェースであることは確かだ。フォルダーは、移動させない限りいつも同じ位置で開く。だから、「この辺にあるFinderのウィンドウはあのフォルダーのものだ」という推測が成り立つ。脳で判断するのでなく、視覚で判断するのだ。たとえ数ピクセルしか見えていなくても、そこに向けてファイルをドロップできる。こうした自分なりの使いこなしというか、悪用というか(笑)ともかく工夫して使うために必要な最低限の約束事と自由度が共存していた環境だ。

それに対して新Finder。「このフォルダーは何だっけ?」といちいち考えさせる。頑張って配置しても、勝手に場所を動かす。頼むから、オレの脳みそを浪費させないでくれ。

バスケ(http://www.kanshin.com/basuke/)シエスタウェア代表取締役
原稿を書き終えたので、WWDCに行って来ます。Mac OS X 10.2 が出るらしいですなぁ。Finderがずいぶん変わるということですなぁ。ホントかなぁ?…。期待しないで待ってましょう(笑)。そんなことより、新庄見てきます。阪神 Go!

[*1] 警戒感 - 例えば、「Terminal」があるがゆえに、GUIを用意せずにコマンドラインから設定を行わせるアプリの登場などが不安視されるわけだ。
[*2] 難しい - 「AppleScript」を使えばいいが、これも結局、CUI環境なのだ。

編集・三村晋一

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