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[#20] キチンとさんのお通りだい

初出: MacPower 2002年 2月号

OS Xを使っていると、何となく「キチンとしていなければいけない」という思想を感じる。邪魔なものは片づけてキチンとしよう、あいまいな部分の定義をキチンとしよう、論理的でないからキチンとしよう……。そんな「キチンとさん」の気持ちはわからなくはないのだが、何だかなぁとも思ってしまう。

例えば、OS Xで大きく変わったメニュー構成。アプリケーション名のメニューが追加され、そこに「○○○について」という項目や初期設定などのアプリケーション全体にかかわる機能をまとめた、ということになっている。問題は、従来のMac OSの「ファイル」メニューにあった「終了」項目がこのアプリケーション名のメニューに移動したことだ。メニュー項目の位置が変わると当然、ユーザ一は混乱する。デメリットがわかっていながら、なぜ変えたのか?それほどユーザが必要としていた変更とは思えないのだが。

ほかにも、ウィンドウシェードがなくなったりウィンドウの操作ボタンが左にまとめられたり。ハードディスクのアイコンは妙にリアルになったし、復活した「」メニューはカスタマイズできない別物だ。

どうもOS Xの設計には、こういうキチンとしなければいけないという思想が根づいているように思う。整理されたものは使いやすい。乱雑なもの、意味があいまいなものは使いにくい。開発者側にこうした思想があり、OS Xはこの思想を持った人が使いやすいと感じるようにできているのではないか。オレの周りでOS Xに移行した人を見ると、キチンとさについていけるユーザーが多いように思う。オレはそこで挫折だ。

さて、この思想が色濃く出ているのがフォルダー(ディレクトリー)の構造だ。フォルダーは実にキチンと整理されてしまった。アプリケーションはここ、書類はこの中、写真はこっち。あっ、そこは触らないでね、危ないから。自分の家で遊んでいてね……。こんな感じではないだろうか?自分のコンピューターを自由にできないもどかしさを感じる。比較的好きにできる「ホーム」フォルダーが、階層が深い場所にあるのも何か納得がいかない。

Mac OS 9にもフォルダーの分類はあるが、それほど窮屈さを感じない。それは、ユーザーが最上位階層のフォルダーを自由に使えるからだろう。Mac OS 9でOS Xのホームに相当するのは、デスクトップのような気がする。意味はだいぶ違うだろうけど、ユーザーは好きにしていい場所として認識している。みんな、デスクトップを適度に散らかしていると思う。そのほうが使いやすいからだ。まさにデスクトップ。他人に勝手に片づけられると使いにくくなる場所なのだ。

いっそのことOS XのFinderも、デスクトップをホームと思わせるような作りにしてもよかったのではないか?実際のディレクトリー構造はマルチユーザー環境用になっているので、現在のものから大幅に変えることは無理だろうが、見せ方だけの話だ。制限だらけの場所の中に自分が好きにできるところが用意されているよりは、基本的にどこも自由にいじれるけど一部は触ってはいけない、というほうがいい。コンピューターは自分のものなのだから。

残念ながらOS Xには、そうしたフォルダについての工夫は採用されていない。多分キチンとさんが登場したのだろう。あるものはありのまま見せるほうがいい。マルチユーザー環境なんだから、ホームがあるのは当たり前だ。ホームはほかのユーザーのホームと同じ場所にあるものなので、特別扱いなんかできないよ。階層が深くなったって仕方ないじゃないか……。いやいや、そういうことじゃなくってさぁ、見せかけだけの処理でも構わないわけだし。

だいたいほかのユーザーのフォルダーなんて、自分には見える必要がない場所なのだ。他人が同じマシンを共有していたって、オレが使っているときにはオレのコンピューター。オレ主体でものを考えたい。そういう演出をしてほしいのだ。そもそもデスクトップだって演出のたまものだ。ご存じの方も多いだろうが、これまでのMac OSの各ボリュームには「Desktop Folder」という名前のフォルダーが用意されており、その中身がデスクトップに表示される。Desktop Folderの属性は非表示になっているので、普通はユーザ一の目には触れず、混乱することはほとんない。これはFinderの仕事であり、OSも基本的に同じことをしている[*1]。

'99年1月に初めて姿を現した[*2] 時点でのOS Xのインターフェース「Aqua」は、ファイルをデスクトップに保存することができなかった。置けるのはエイリアスだけで、ディスクのアイコンもなかった。「ゴミ箱」はDockの中にあって、これはいまも変わらない。その後アップルは改良を加えて昔のFinderに近づける努力をしているように見えるが、その最初のバージョンが、実はOS Xの思想、OS Xを作っている人たちの考え方を一番色濃く表していたのではないか?

UNIXのパワーを手にしたこと。NeXTの素晴らしい資産を継承したこと。これらの利点の裏側には、キチンとさん思想の流入があったように思う。よくインターフェースについての論議は宗教論争のようにいわれる文化と文化の衝突なわけで、インターフェースの論議もそれに近いものであることは確かだ。しかし、一般論で話をしているのではない。Mac OSの話をしているんだから、Macの文化を第一に優先すべきなのだ。何か自分で書いていても、何をいまさらというような当たり前の大前提ではないか。そしてMacの文化が誰によって創られるかといえば、それはユーザーなのだ。支えているユーザーが文化を創っている。だからこそ、その文化を一番尊重しなくてはいけない、守らなくてはいけないのだ。Macユーザーはそんなにキチンとはしていないと思うぞ。

バスケ(http://www.kanshin.com/index.php3?id=2)
というわけで、何度も何度もMac OS X批判をしてきたけど、そればっかじゃ先に進まないのでもう批判やグチは終わり。建設的な話を始めましょう。オレはソフトを作りますぜ。 といいつつ、今回書けなかったFinderネタをもう1回やります。批判じゃないよ(笑)。

[*1] OS Xも基本的に同じことをしている - しかしなぜ、「ホーム」フォルダーでは「Desktop」というフォルダーが見えているのか?何の必要性があるのか?こういうところも気になるんだよなぁ。
[*2] '99年1月に初めて姿を現した - そうか、もう最初の登場から2年もたったのかぁ。

編集・三村晋一

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