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2021年は「復帰」の年でした

去年の12月、逃げるように東京から関西に帰った。

躁鬱病のうつ病期間。

仕事は解雇になって約半年経っていた。
自ら行動する活力が出るはずもなく、ただ漠然と何かに怯え、口座のお金が底を尽きていくのを呆然と見ていた。

それでも、上京してきたことを間違っていたと思いたくなくて、また年明け東京に戻った。それが2021年1月。

うつ病は本来の自分ではいられなくなる病気。
そんな状態から少しでも早く抜け出したかった。重い身体を持ち上げ、洗濯や自炊、掃除など、今までの自分を取り戻したい一心で当たり前にできていたことを一歩ずつやっていった。
継続はできたりできなかったりだったけど、60点くらいをキープした生活を送っていた。

そして身の回りのことが安定して出来るようになってから、就職活動を始めた。2021年2月のこと。
うつ病期間の思考は、とりあえず今の現状から抜け出したいの一択だった。だから前職だった動画制作以外の会社も受けた。

しかし、

「誠に残念ながら…」

「今回は見送らせて頂きたく…」

「今後益々のご活躍をお祈り申し上げます」

今回もダメか…
15社ほど受けてすべて不採用だった。
コロナの影響もあるのだろうか、自分の実績が足りないのだろうか。
就職活動は実力と運の要素があるのは頭では分かっていたけど、連続して内定がもらえない状況が続くと心が折れそうになっていた。

でも、諦めなければ必ず結果は出ると信じた。

就職活動中、家賃が払えない状況だったため、行政の制度を利用して負担してもらっていた。
その制度の利用条件は、ハローワークを利用して就職活動を行うことだった。

以前、働いていたところがハローワーク経由で応募していたため、あまり良い印象がなかった。
それでも苦しい中、微かな希望を持って会社を検索していたところ、偶然条件が良さそうな会社が1社だけあった。

とりあえず受けてみるか。

実績もスキルも変わってないのに、トントン拍子で選考は進んでいった。

そして最終面接。社長から開口一番
「今日はわざわざオフィスに来ていただいてありがとうございます。弊社としては一緒に働けたらと思っているので、今不安に思っていることがあれば言ってください」と。

嬉しい気持ちより、安心した気持ちの方が大きかった。
やっと働ける。やっと元の生活に戻れると。
これが2021年8月の出来事。

そこから今日までの5ヶ月間、コンサル会社の動画クリエイターとして働いている。
今は自社のYouTubeを運営して、採用活動の強化につなげるプロジェクトを動かしているところ。
動画クリエイターは一人だから責任も大きいけれどやりがいのある仕事だ。

働いてからは体調も安定していて、会社以外の活動も徐々に始められている。その一つとして、社会人になったときからやりたいなと思っていたフィンスイミングを始めました。

プールに復帰するのは4年振りかな。
今後、試合も出るから少しずつがんばっていきたい。

来年から動画制作の学校にもいくし、副業もぼちぼち入ってるから、相手も期待以上に、1本1本依頼した人が良い方向に向かうきっかけになるような動画作っていきたい。

おかげさまで、今はもう服薬をしていることを除けば、以前と変わらない生活を送れている。それだけでありがたいなと思う。
2022年をどんな年にするのかは、もう目の前のことをがんばる以外にないのだけれど、周囲の人への感謝、何事も楽しむ心、そして人生山あり谷ありだからどんな状況でも自分を見失わずに生きていけたらと思います。

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