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学童児の教育を見つめ、表現する

前書き

今回はバスケットボールの戦術など専門的な分野に対する記事ではなく、もっと広く、小学校低学年の子どもたちや学童期を終えた子どもたちにしてあげられることなど広く触れていきたいと思います。というのも、これから私が任される「仕事」がそういった領域であることとその仕事を任される上で大事にしたいことなどここに記しておきたいと考えているからです。

まず、私は本来この学童期の子どもに対する指導が本業であり、プロフェッショナルな領域であったというバックグラウンドをもち、今からそのかつての仕事に戻るという前置きについても軽く触れていきたいと思います。


当然ながら、過去に書いている記事にあるように科学的であったり学術的なこの年代の子どもたちへの教養の部分などは変わらずに、小学校の6年間で子どもが学ぶべき内容について簡単に確認をしたいと思います。
小学校の6年間は非常に長いです。ですが、その低学年、高学年でそれぞれ学ぶべきことをきちんと経験しないとその先はもっと難しい6年間となってしまいます。が、根本的に人の歩みは違うものですのであえて強要はしない、それぞれのあゆみに合わせて関わりを持っていくということが最も重要です。そして、集団が持つ特性を生かしながら子どもたちの成長を促すことが大切です。もちろん、チームビルディングにも言えることです。

さて、小学校の低学年で学ぶべきは、高学年で学ぶポイントの土台を作ることです。小学校6年間で身につけたいことというのは、その先の中学校3年間で身につけるべきことの土台になるといいのはいうまでもありません。私がもっとも大切にしていることは、この先の中学校3年間です。私はこの中学校3年間が生徒・学生時代においてもっとも重要な3年間と思っています。それは豊かな人格形成、アスリート教育においても同じことが言えます。

中学校3年間で身につけなければいけないこと
・自立心
・克己心
・協調性
・多様性

人生を豊かにするこの4つの要素は中学生年代で形作られます。完璧ではなくても、この要素について学びが得られる数々の試練が待っているからです。思春期はこういった要素を人生に取り入れるべくやってくる試練です。

文部科学省が定めている教育指針でも、こういった豊かな人格を形成するために基盤になる要素を小学校で身につけるように定められています。難しい言葉では、『勤勉性』というところが小学校で最も重要なポイントだと思います。文字通り、コツコツ積み上げる力です。とはいっても、うちの子には勤勉性の欠片もないという声があると思います。
小学生のうちにコツコツ積み上げることができる子どもなんて滅多にいません。なぜか。それを私が行いたい学童教育を通してお伝えできればいいと思います。


塾なんて必要がない子を育てたい

学習に対するストレスを潜在的に持っている子どもが非常に多いです。ここがまず私の中で大きな課題です。
日本において、私の感覚で「頭がいい人」というのは勤勉であるか、要領のいい人を指します。頭がいいから、悪いから、塾にいくのか?さて、塾は一体何をする場所なのでしょうか?
この問いについての答えでなく、単純に「勉強をしないから塾に行かされる羽目になる子どもの救済」をするというのが私のターゲットです。

この問題は幼児教育にヒントがあると考えます。小学校に入ってしまうと子どもの物差しは急に「できるか、できないか」に変わってしまいます。それは勉強にスコアをつけるからです。いつのまにか、満点が取れると嬉しい。褒めてくれる。といったように他者からの評価を喜びに変えるように刷り込みが行われてしまうのです。これはバスケットも同じで上手くなりたいという動機から始まる好奇心や向上心がいつの日か「周りからの評価」のために自分をハンドリングする価値基準を覚えてしまう。これは、ある種当然の仕組みなのですが、「評価を得られない場合の喪失感」は本来子どもが得る必要のない問題点となってしまうのです。

当然ながら勉強ができない子は勉強に対してあらゆる課題を抱えていますが、評価対象は常に勉強ができる子であり、できるvsできないの土俵に置いて劣等感を感じることでしょう。これが私が感じる勉強ができない子に対する視点です。
頭のいい人は、勉強ができるようになる方法を皆知っているのにも関わらず、みんなが勉強ができるようにならないのは、『勉強』に対する捉え方が間違っていて。いや、自然と間違っていくからだと思います。

できるようになるまでのプロセスは皆同じで、日本の学習スタイルにおいてはその知識を活用してどうのこうのするのは高等教育で行われることで、そこまではひたすらに知識の幅を広げ、時に深めることだけをすればいいですよね。つまり、学習の回数を増やすだけで学校の勉強は問題なくクリアすることができます。ちなみに私は塾に通ったことがありませんが、学校では常に優秀でした。教育費も全くかからない子どもでした。が、それは頭が良かったのではなく、学習の回数が人よりも多かっただけです。さらには勉強を苦痛だと思ったことがないという単純な理由です。

幼児教育の話に戻ります。幼児期の子どもが言語を習得するプロセスで苦痛なことは何一つありません。
「あーーー」
「うーー」
から始まり、親が話す言葉を聞いてその言葉が何を意味しているのかな?真似して話してみようかな?と考えを巡らせ、インプットとアウトプットの間に何一つ障害がない状態を居心地良く過ごしていく。そして、興味関心の深い分野(車とか虫とか)ではより高いパフォーマンスを発揮してくるし、それを大人は包括的に支えればいいだけ、ですよね?
ここで誰も学びを強制させることはないと思います。(たまにいると思いますが)で、次に子どもは周囲の社会で自分がどういうことをしたらどうなるのかということを学び始めます。情操教育が始まります。

幼児期の子どもは好奇心のみで動くので、その好奇心が大切だよねというのが結論です。では、小学生がどのように勉強に好奇心を持ってくれるかというところが「塾なし」子どもにとって最重要ミッションなのだと思いませんか?好奇心から来る学習意欲は学習することで必ず満たされていきます。だからこそ、学校の勉強がより生活や人生の中でリアリティに変わるものであれば、すごく面白いと感じてくれるのです。

エピソード
物理の先生と高校部活のコーチングをしていた頃、チェストパスを力学、物理学の観点から「どうすれば早くなるのか」彼はわかりやすく説明をしていました。腕の加速と、力が加わる角度、全体の持つスピードなどなど条件について科学的見解をもとに解説しているところに、私はなんて面白いんだと思いました。
AくんがBくんのお家まで時速何キロで〜なんて問題よりも、はるかに面白い学びの教材なのだと感じました。

知的好奇心を支えるために学びへの喜びを教えることには、逆に喜びは先に立って知的好奇心をくすぐるようなマインドであればいいと思います。例えば、漢字学習が苦手な子どもは「漢字なんてそもそも好きじゃない」「書くのが疲れる」なんてネガティブな感情があったり、やらぬからこそスコアが取れない。もうやっても意味ない。という負のスパイラルに陥りがちです。できる子どもは「やってきたからできるだけ」という簡単なところさえも見落としがちです。書き順を覚えることも、なぜのその書き順がそうなのか、という法則を見抜いていたり、漢字のパーツが示す成り立ちや意味のヒントに目を向けると漢字学習は一気に簡単になります。

私が漢字が嫌いな子どもの担当をしていた時にによくやっていたことは、ドリルの片隅にある成り立ちの絵を描いてみたり、絵を描いてなんの漢字を意味しているか、また現代にあったほうがいい漢字を創作するみたいなワークショップでと、お互いが知らなさそうな漢字をクイズで出題し合う、みたいなゲームを必ずやっていました。大人が横についてひたすら漢字を書かせるなんてものは学習でもなんでもないと思います。
子どもは大人でさえわからない漢字を探してみたり、「あの漢字なんて読むんだろう?」なんて簡単な好奇心を持つようになり、こんな取り組みでこそ「漢字っておもしろいな」と一部分でも思ってくれさえしたらもう簡単です。

このような取り組みを各教科で行えば自然と学習への取り組みは変わります。そのあと塾が必要かどうかは人によって違いますが、少なからず塾にいくこともポジティブな内容に変わるでしょう。


多様性がある子に育てたい

中学校3年間に向けて重要な準備がこの多様性です。これから出会う新たな人をどのように受け止めて、自分の人生に生かすことができるかというのが狙いです。誰しも経験があるはずです。「こんな人いるんだ」と常識が覆される出会い。それは良くも悪くも。中学3年間は「自分がこれだと決めた道で自分を育む場所」です。まだ見つかっていない子どもは、小学校のうちにある程度見つけるといいでしょう。そして見つからない子どもは中学校で見つかると良いでしょう。私が言いたいのは、「自分がこれだと決めた道があるのは、教育上すごく楽」ということです。

多様性があるとすごくいいのは、「人の学びにフォーカス」することができる点です。人から学ぶことができるようになるというのが正しいです。また、相手の立場に立つことだったり、相手を思いやる心、チームワークを育む上でもすごく大切な観点です。
私の中でベストオブ多様性モンスターは大学時代の指導教授でした。どんな人にも傾聴でき、尊敬を置き、人々導くことができる人。教養が広く、深く、人柄もすごくいい人でした。彼が持っていたものは限りない多様性、多様的な考え方、柔軟性です。

多様性を育む上で必要不可欠なのは、多様的な環境で生きていくことです。環境設定こそが鍵です。日本で生きているとどうしても難しいです。日本人は特に日本人としか(日本人として生活している人)しか周りにいません。根本的な生活様式の違いや価値観の違いに出くわすことは少ないです。だからせめて学童児教育にできることは、多年齢で過ごすこと。これに限ります。少々の年齢によるギャップや年齢の違いによる経験や考え方の違い、立場の違いから来るアクションの違い。そういったものをたくさん経験させてあげて多様性を育む土台を形成することができればいいと考えます。


アスリート教育の一端を担う

私の終着点は全てアスリートを育むというところに到達します。アスリートを育むことは、その時々で大切なことを身につけさせる経験をすればいいのですが、そのアスリートが本来持つ力を最大限発揮するためにあらゆる経験が必要になってくるのです。具体的には、中学3年生で受験期を迎え、進路選択をする時に「学力が足りないから選択肢が減る」という事態を回避するのが非常に大切です。勉強は積み重ねが大切であること、スポーツも積み重ねが大切であること、この2つには多くの共通項があります。

スポーツの指導者がアスリートを育むなんてことは当然ですが、どのようなアスリートを育てるかというところが最も大切になってくるところですので、そうしたサポートができればいいのだと思います。

アスリートを育てるためにやらなければいけないことは本当に多岐にわたりますが、塾を必要としない自発的な学習意欲を持つ子どもであったり、多様的な環境で活躍できる子どもを育むことはアスリート教育を促進させるキーになります。加えて、アスリート教育で注目されている芸術的な観点、能力を育む活動も忘れてはいけません。日本のトップアスリートを育成する機関(育成指定選手など)では、こうした感性を育むための活動が大切にされています。絵をかいたり、絵から何かを感じ取ったり、イメージを作ることの重要性はワークショップで触れていきたいと思います。長時間子どもを預かり、育成指導ができる学童という場所はそれほどにポテンシャルがあり、大切な場所になりつつあるという昨今の日本の教育事情を見ていると良くわかります。

居心地良く、多くのことを吸収できる場所を作っていきたいと思います。



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