シャニ5thDay1 お気持ち表明文

シャニマス5thライブDay1、もうなんだか高山Pのコメントを受けてさらに訳の分からないことになってきた。
高山Pが問題だと思っている点と、私が問題(というか不満?)だと思っている点は根本的に違ったようで、よくわからない釈明を受けた。
以前、納得できない点が多いためつづっていく。

※否定的な意見が続きます。
コンテンツに対する批判であり、”コンテンツを肯定する人”に対する攻撃や批判ではありません。特段本コンテンツを肯定的にみられた方にとっては、あまりメリットのない文章ですので、読まれないことをおススメいたします。

・大前提として。

まず大前提として「シャニマス5thDay1自体はかなりいいライブであった」ことを念頭に置いておきたいし、TLで異議を唱えているフォロワーもそこに関しては同意見だったように思う。
セトリも予測できないもので非常に面白く、また、今までにない和楽器の演奏や、バックダンサーの導入など、よりライブをライブとして楽しむための色んな演出がふんだんに盛り込まれており、ライブとしての完成度や、選曲は本当に良かったと実感している。
おそらく、そこが良かったから余計に「何故、演出がああなってしまったのか?」という悔しさが残るのが大きいのだと思う。

・高山Pの意見

以下、原文ママ

Day1で目指したものは、アイドルたちがアイドルを選ぶことは決して当たり前ではないということ
彼女たちには、アイドル以外にも輝かしい未来が無数にあり、少なくとも我々制作陣はそれを忘れてはいけないと思っています。
それを忘れ、「都合よく」アイドルであり続けることを規定してしまうのは、彼女たちに対して不誠実だと思っています。

~~~~~~~ライブMCを挟む~~~~~~~

アイドルたちには、無数の未来が、無限の可能性があって
全く別のことに希望を見出す未来もあるかもしれなくて
私たちは、仮にそんな未来が来たとしても、彼女たちの背中をそっと押してあげたいと思っています
でも
アイドルたちがアイドルであることを選び続けてくれるなら、その奇跡に応えられるように。輝きを絶やさないように。
これからもプロデューサーの皆さまと共に歩み続けたいと思っています。

高山 オーディオコメンタリー

高山Pは、大方ライブのコンセプトが一部層にうまく伝わらなかったことを鑑み、「アイドルの終わりを意識し作成し、可能性の一つとして描いた」ようなことを言っていたわけだが、そんなことは大体の人は分かって見ていたのではないか・・・?という疑問が自分の中では大きかった。
以下、今回のライブで問題だったと思う点を記述していく。

・アイドルの未来が暗い

「アイドルの別の輝かしい未来が・・・」というコメントのわりに、あまりにもアイドルをやめることに対するネガティブイメージが強い演出だった。
皆何度も「終わり」「辞める」「最後」という言葉を繰り返すばかりで、「終わり」の意識が強く、先のことは具体的に描写されたり言及されない。申し訳程度に「最後じゃない・・・」「まだ続く・・・」とは言うが、何がどう続くのかも、この先どういう未来を選ぶのかも描かれていない。唯一、自分の感性ではノクチルは納得のいく描写だった。
元々ノクチルはシナリオ上でも何となくノリで辞めそうなことあるだろうなとも思っていて、ノクチルはアイドルをやめたとしても淡々と4人で楽しくやっていそうだし、それはそれで一つの人生として続いていそうだなと思っているので、辞めることもアイドルであることも特に大きく意識しすぎることなく彼女たちのままであったのは良かったと思う。

他のユニットもこうであったのならよかったが、皆終わりと卒業とを意識させる作りだったし、”アイドル終わった未来を応援してくれ”という思いであるならば、”終わり”を意識させる度合いが強すぎる。もう少しバランスよく”未来”も描くべきで、一部「ラストの曲の後解散する時、みんな笑顔で解散している」等の指摘はあったが、それはここまでふんだんにしつこく盛り込まれた”終わり”アピールに対してあまりにも未来や肯定が薄すぎる。
バランスが悪かったと言わざるを得ない。

だから自分は、そもそも「終わり」しか感じれなかったので、未来の可能性とかそういう話ではなく「アイドルマスターシャイニーカラーズは終わる可能性が十二分にあったが、皆のおかげでなんとかここまで来れた。5thまでこれたのも皆のおかげ。これがあるのは当たり前じゃなく、day1が真実になった世界線もあった。それは皆のおかげで、解消された」とか、そういう表現なのかと理解していたので、もし高山Pのコメント通りなのであるならば、ちょっと考えていた/感じていた意図と違う。
まあ、かなり高山Pのコメント少な目であったため、さすがに「サ終しそうだったわ」とはアーカイブが残らずとも言えずにかなり濁して上記のコメントになった可能性はあるが、にしても「アイドル自身がアイドル以外の道を選ぶ」ことについて繰り返し言及しているため、どうにも「サ終」の意図はあまりなかったように思う。

まあ何が言いたいかというと、言いたかったことに対して”終わり”のアピールがあまりにも強すぎるということである。
先に言及したノクチルのように、別段アイドル活動が終わったとしても人生は続くし、それをポジティブに描くことはできるだろうし、むしろシャニマス自体はそこの描写はうまくやってきたほうだと思っている。SHHisのにちかのシナリオなども、アイドルでいることが当たり前ではないし、アイドルを目指すことが本当にこの子にとって幸せなんだろうか・・・?と考えさせられるようなシナリオでもあって、ユーザーを信頼するのであれば、そもそも”アイドルでいることは当たり前ではない”なんてことはある程度のユーザーの中では理解してもらっているものだと私は思っていた。高山Pのオーディオコメンタリーがなかったとしても。

そういう意味では、ユーザーを信頼しきれていなかったのではないだろうか?ユーザーが少ない文脈で不安要素を感じ取ってくれるということを。

・続く不安要素 シャニマス自体の終わり

noteなのではっきり書くが、僕は3rdから応援していて、シャニマスの不安要素にかなり振り回された側でもある。
といっても、シャニマス自体の、というより、アイドル自体のことだが…。
僕は3rdの成海瑠奈のパフォーマンスを見て「おお~ライブでのパフォーマンス見るのってこういう魅力があるんだ」ってなってそのまま応援し始めて成海瑠奈のオンラインサイン会まで参加してサインまでもらった人間である。諸事情により書いたサインは届かず虚無へ消えたよワッハッハッハ。
書いた分は送れよ。
まあだいたいの察するところであるが、諸事情により僕が気になったアイドルは突如辞める話となった。
それはどう考えてもポジティブな辞め方ではなく、ネガティブな突発的な辞め方であった。
その後も一年後くらいに別のアイドルがトラブル起こしたりするし、今回の箱は4thに比べて半分近くで小さいし・・・。
まあ前述のものはある程度不可抗力でもあるが、その後もゲームの中身を改修しまくったり、その後もゲーム仕様の不満が聞こえたり、「シナリオはいいがゲームはやんなくていい」という声も聞かれたり、新たな限定ガチャが増えたり、と、ぶっちゃけ「シナリオは確かにしっかり評価されているがちゃんと売れているか?」「本当に不安要素なくコンテンツとして続くか?」と不安になる要素は多かった。

つまりやっぱり僕の中であのDay1ライブを見た時によぎるのは「サ終」あるいは「サ終のif」であり、冷静に考えたらサ終はないだろうと思ってはいたので、ただにしてもサービス終わるかもしれない世界線はありえただろうな、と、そっちの方の印象が大きい状態でDay1を見ていた。

いいたいことが二転三転したが、要するに「シャニマスが”終わり”や”アイドルを辞める”を匂わせるということにネガティブイメージが強い」ということである。
そういうイメージの薄いコンテンツがやるのであれば多少攻めた演出とも取れなくはないが、いかんせんここ数年での「終わり」に対するネガティブイメージが僕の中では強かったように思う。それもあって、前述の「・アイドルの未来が暗い」で話した、”終わり”のアピールが強すぎることも相まって、余計にDay1に対するネガティブイメージが強く感じる人が多かったのではないだろうか。

・シナリオとライブの違い

そもそも、シナリオとしてのアイドルの終わりについては何度も言うように理解しており、むしろシャニマス側で積極的に描かれていたため、今回のDay1のような話が「シナリオとして」ゲーム内でリリースされても何ら問題ないし、普通に読んでいたと思う。
ただ、ライブというのは「ゲーム画面を開けばすぐに見れる」コンテンツとはわけが違う。
人によっては、仕事を調整し、チケットを必死に確保し、お金を貯め、遠くからわざわざ来てそれでようやくDay1しか現地で見れない人間もいるわけである。
「一回」に懸ける重みが、そもそもゲームでシナリオを読むのと段違いなのである。
それでいてDay1が非常にネガティブな終わり方であったならば、現地に来た人間はどう思うのだろうか?というところがずっと引っかかっている。
私はたまたまDay2も確保できたからよかったものの、たぶんDay2が現地で見れなかったらかなり不満は今よりも大きかったと思う。

そこの重みを理解せぬまま、Day1だけがネガティブな終わりになり、Day2でそれを回収する形にするのは、あまりよろしくない事だと思う。
加えて、今私は両日確保したが、それでもアソビストアプレミアム先行→ゲーム先行→一般→リセールと得て、それでもDay2は確保できず、たまたま行けなくなった友人から譲ってもらったものに過ぎない。

仮にDay1→Day2とつなげていくならば、4thのように相当余裕のある箱でTLのみんなほぼ席取れてるな~~というぐらいであるならばなんら問題なかったと思うが、まあライブという商品性質上そういうわけにはいかないことは理解している。理解はしているからこそ、”現地民”のことは本当に考えたのだろうか?という疑問がいまだに頭の中をぐるぐるしている。

シナリオとライブは、一回に懸ける重みがあまりにも違う。そこの重みを理解できていなかった演出のように思う。
(あるいは、理解した上で、両日絶対来てくれよな~~という圧なのかもしれないが・・・)

・終わりに

当然ながら、「こういう意見もあるよー」との意思表示であるため、なんら楽しんだ人やDay1よかった派を否定する意味合いはない。また、こういったライブ演出を挑戦すること自体も否定することはない。ただ挑戦した上で、「こう思った人もいるよー」の意思表示は必要だと考えたし、こういった多様な意見を取り入れたうえで更なる挑戦を目指してほしいと思っているので、Day1、Day2で挑戦的な演出に取り組んだこと自体については今後も目指してほしい。

ただ、今回のような否定的な意見を言うとたまに”文句言うなよ~w”という人間がいるが、それに対しては強く抗議の意を示す。
思ったことは良いことも悪いこともすべて消費者・参加者側は積極的に言っていくべきである。基本的にみんなわざわざ自分の意見を公に見えるように言わない。
ただその状況をほおっておくと、悪い感想を持った人間が黙ってただコンテンツからどんどん消えていくことになるので、”意見”は幅広く言える状態である必要がある。
当然、それに乗っかって誹謗中傷や、個人攻撃をする人間は許されざる行為であると思うが、そうではなくて”批判そのものを”お気持ち”といって揶揄したり、バカにする行為、否定する行為”というのは断じて許される行為ではない。僕がわざわざタイトルに”お気持ち”とつけているのはそういった行為に対するアンチテーゼの意味合いが強い。

「自分はライブ良いと思ったので批判を見たくない!」というのは全然わかるし見ないほうがいい。
ただ馬鹿にしたり批判そのものを否定することに正当性は一切ない。

反面、批判の中身に対しての批判や意見・異論は当然受け入れる。
ご意見求む。



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