自らの厄介オタク感情という病の悩み

※このタイトルでいうオタクはワイのことだよ
※まぁまぁキショ……な内容だから気を付けてね

ここでいう「キショ感情」について自分でも整理できてなくて、この前オタクにもうまく話すことができず、いまだ悩んでるので整理の意味も込めて書いてみる

・厄介オタク的な感情

でも一言で言うと「厄介オタク」的な感じではあると思う。ワイのキショ感情。

厄介オタク代表として名高いマキマさん

まあ上記のマキマさんの話が分かりやすいが、ようは「勝手に自分の頭の中のストーリー作ってそれを相手に押し付ける」こと。
特にずっと創作やってるのも創作をやりたいからやっているというより、勝手に何でもストーリー化してしまう脳みそから毒抜きしていく意味合いと、その毒が許されるのが創作だからというのもある。
具体的に言うと、ちょっと声優さんに認知されただけで「たはーーーこのまま認知されて会いに行っても「え!?バジリスクこなみさんですよねー?」って即名前覚えてもらってそのまま友達になっちゃって楽しく話しちゃって俺も番組出ちゃうんだろうな~~~~」ぐらい妄想してしまう(キッショ………)
ここでいうキッショ……ポイントはこいつ自分を出演させたがるんですよね、自分が大好きすぎるので………
で、当然ながら流石にこれが明らかに間違った感情であることは当然理解しているし、イベントとか言っても当然ながらお便り2~3読まれた程度でリアルイベントでガチガチに認知されるほどではないんですよね。そして後半は言わずもがな論外なので当然妄想だけで終わっちゃうわけですが、もうこのあたりの感情は抱えてしまった"業"なんですよね。

とーぜん、高校生ぐらいのオタクになったときからこういう厄介感情は所有しているのでその時からの悩みで既に何周も周回しており、特にその妄想が発動しても、この妄想自体が起こり得ないことは絶対にわかっているのに、勝手に妄想が出てくるんすよね……マジで……。感情にはうそをつけない、あのあれです、「俺は闇の力………俺がいるだけで、どうやっても他人を傷つける………これは俺の生まれながらの宿命………」の厄介オタク版?????(最悪すぎる)

なので大前提として、
厄介オタクとしてなにかしらヤバイ行動を起こさないすべはわかってる。問題は、それはわかった上で、この感情をどう処理していくかということ

ともかく、今営業職とかもやってるしこんな厄介オタク感情をコントロールできなければ社会的に何十回でも死亡してるのでコントロール術は身に付けているが、それはあくまでもコントロール術であって感情を消し去る力でわない……………感情は全く消えない……………
ここまでキショ感情…とは言ってるものの、マジで”思う分”には自由で、それを出力する瞬間にどういう形であれ他人に迷惑をかける可能性が発生するので、一番は一切出力しないというのが最善の手段だし基本そうしてるんだけど、やはり湧いてきてしまう以上「これをどこにぶつければ…?」という悩みはマジである。

・二次元には多少なりとも業をぶつけられる

厄介オタク仲間いるか?いたら返事してくれ
そもそも、だからこそ二次元が好きというのもある。
これは”業”なので、三次元世界にぶつけることはあってはならないことで、
二次元世界でかつ他人に迷惑をかける(例えば二次元作品の独自解釈を、解釈違いの人間に押し付けるとか)ことがなければ、存分に勝手な厄介オタク感情を持つ分には、ある程度は許容できる、そもそも厄介オタク感情をもっても行動に写せない、キャラクターに会いに行けないので………(許容……と言っていいのか…?まあ、でも、作者にぶつけかねないからいうほど許容できないのでは……?)
キャラクターそのもの自体に想いをぶつけることはなんら問題なく、ただそれが行きすぎると「作者、なにこんなキャラクター書いてるんだ!!」「製作陣はキャラをわかってない!!」ともなりうる。キャラクターとの夢小説を書く分にも問題ないという救いはあるかもしれない、ナマモノで書くのは怖すぎるというか一歩間違えると犯罪というか本人に迷惑掛かりそうだし………。

それで言うと芹沢あさひのソロ曲が出た時はめちゃくちゃ解釈違いを起こして駄々をこねた、「違う!!!!!!あさひちゃんは自分で自分のことこんなに自覚してないもん!!!!!!!!!!!」みたいな感じで………
でもそれ最終的に向く矛先って制作陣へのベクトルだからマジであぶねーんだよなコイツ……逮捕されろよ………

まあただ厄介感情をもっているからでもあるが、”正当なクレーム・意見の入れ方”はさんざ鍛え上げられてきたから、しばらく誰にも見えないところで「ウギャーッ!!!!!!!!!!!!解釈違い!!!!!!!!!!!ギャオォオオオオオオン!!!!!!!!!!!違う違う違う違うそうじゃな~い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」って叫びまくったところで、落ち着いたらめちゃくちゃ冷静に「これはあさひちゃんが自分のことを歌っているとしたらちょっと違う気がするので、誰かがあさひちゃんをイメージした曲を書いてきて、それをあさひちゃんがうたっているんだなあ」みたいな解釈に最終的に行き着いた。
とりわけ営業職とかマジで「いかに正当なフローでクレームを入れるか」の勝負みたいなところがあるので、感情的にギャオンしてたら即意見却下されるので………厄介感情との付き合い方をなんとか覚えている。

・自然と出る”業”

そのせいか、ともかく浮かぶものをどんどん小説にしていたら自然と
「厄介オタクがリアルのアイドルに厄介感情を持つ」みたいな小説ばっかりになってしまった。
書きたいもの書いてたら自然とこうなっていた。
なので逆に計画的に小説が書けない、思いついて自然と書いていくので、
「俺は厄介オタクが良くかけるみたいやなあ…厄介オタクの小説書いてみよ!」ってするとマジで何も書けない、自然とその時の悩みが出力されるので、マジで声優が怖くて離れて距離置くと逆に何も書けなくなる、しかし近づくのはあまりにも怖すぎる、こいつの厄介感情が怖すぎる……。

・完全に距離を置いた応援

もうね、推しについては「遠巻きから無言で100万円投げるおじさん」になるのが一番いいと思っていて、最近スパチャ無言で投げる人の気持ちがよく分かった、こちらの発言に干渉されるとこちらの感情がめちゃくちゃになる、無言だと向こうも全然こちらのことわからないまま虚空に向かって話してくれるので、こちらを正確に認知されない。されないが応援はしたい。
しかし、ハガキを出すのには特定の名前を使う必要がある。いや、いつでも名前を変えればいいのかなー…。うーん。
いつも名前を変えて手紙やお便りを出せばいいのか???
いやそれって声優にとっていい事か?まあ、一切応援がないことよりいいことなのかもしれないが……。

少なくとも、今幸せなのが、シャニマスコンテンツにおいて
「声優が解釈違い!ギャオン!」みたいなことはみじんも起きてない、
声優によって演じ方やリンクの仕方も全然違う、中身もキャラに似てる人もいれば全然真逆の人もいるけどそこは全然解釈違い起こしてない、明確に別々の人と分けているし、シャニマス君のコンテンツ力が高すぎるので、今んところ大丈夫。
それを心の支えとおとなしくしておいたほうがよいのかもしれない。

だから声優さんには完全に距離をむしろ置いてほしい、いや交流できるのもうれしい、認知もうれしい、ただ”狂いすぎる”

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

『推し、燃ゆ』 p62

こういう時は大体宇佐美りん「推し、燃ゆ」を引用する。

隔たりがしっかりあったほうが、そこに関係性が明確に大きく存在しないほうが、むしろ僕は安心する。
過度にこちらの反応が見えすぎてしまう、それにより相手に影響を与えすぎると非常に怖い、だからむしろあまり大きな反応がないほうが助かる。
ごくごくたまに反応あるとか、うすぼんやり「もしかしたら覚えられてるかもなーー・・・(しかし答え合わせのしようはない)」という方が助かるが、まあそれだったらもっとデカいコンテンツ池……と言われるとそれまで。
けどデカいコンテンツだとどーせ認知されねーだろという安心感で逆に粘着してしまいそうなのでイケてないです(こいつマジで大丈夫か?)

というわけで、こういう”病”を抱えてしまっているので絶賛治療中というお話でした。解決策は何もわかりません。うまく付き合ってるオタクいたら教えてね。

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