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般若心経の真言立川流?的な解釈

仏教における密教はエッチいイメージが少なからずありますが、その中でも般若心経は世界に誇れる性愛の経典なので御座います。

短い経典の中に、人生における最も重要なエッセンスがギュギュッと凝縮されているので御座います。

性愛の形而上学を説く稀有な経典と言えるので御座います。

観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時。

自在に観る菩薩。菩薩は性愛の相手。

行深。ちゃんと深く奥まで入って当たっている状態。

菩薩の腹の中はチツ蜜がたくさん出ている。

照見五蘊皆空。

母の胎内から抜け出て明るい場所に来ては見たものの、皆々様に置かれましては大層空しかった。

度一切苦厄。

世の中一切が苦厄。

舎利子よ。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。

イン茎は女インとは異なるし、女インはイン茎とは異なるものだけれど、段々とどっちがどっちなのか分からなくなってくる。

イッた時は身体がホワンホワンして何が何だか良く分からないし、ただ気持ちいいとしか言えない。言葉で説明しようとしても無理。

受・想・行・識亦復如是。

想いを受け入れ意識を行き渡らせ、受け入れたり受け入れられたり、中に入れたり出したりが反復される。いく瞬間は陰ケイとか女インとか分からなくなって、溶けちゃう感じになる。

是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減です。

是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。

男女の交わりにおいてエクスタシーに達した時には、あらゆる感覚や意識が無くなる。

無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智・亦無得。

明るい見通しが持てないなどという事も無く、老いとか死とかの色んな不安や苦しみも無く、何か智識を得ようとか得をしたいとかいう気持ちも無い。

以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切 顛倒夢想、究竟涅槃。

なんか色々なネガティヴ要素が世の中に溢れているけれど、愛する人の中に入って歓喜が極まった時は涅槃状態だね。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。

過去現在未来と偉い人は般若波羅蜜たっぷり知って悟りを開いていくものなのだよ。神憑り的で明らかで、無上のもので他とは比べようもなくて、一切の苦を能く取り除いてくれる真実で嘘のないお呪い。

故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。

ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーボーヂーソワカ。

これぞ愛のおまじない。幸福の妙なる喘ぎ声。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー。

イける者よ、イける者よ、極楽にイける者よ、極楽に完全にイける者よ、これこそ悟りだ、君に幸あれ。


般若心経は最強の人類救済の書で御座います。そして日本の写経文化というものは世界に誇れる愛の文化なので御座います。

後醍醐天皇は真言立川流という外道にハマっていたのですけれども、般若心経についての彼の解釈もHかったので御座いましょう。

観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智・亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切 顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。

即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経。

【現代語訳】

般若波羅密多心経 中村元・訳
              

全知者である覚った人に礼(らい)したてまつる。
求道者(ぐどうしゃ)にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性(ほんせい)からいうと、実体のないものであると見きわめたのであった。
シャーリプートラよ。
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で[ありうるので]ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
[このようにして、]およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、認識も、すべて実体がないのである。
シャーリプートラよ。
この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく、滅(めつ)したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減(へ)るということもなく、増すということもない。それゆえに、シャーリプトラよ。
実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、認識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体(からだ)もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の識別の領域にいたるまでことごとくないのである。
さとりもなければ、迷いもなく、さとりがなくなることもなければ、迷いがなくなることもない。
こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制してなくすことも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。
それゆえに、得るということがないから、諸(もろもろ)の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆(おお)われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒(てんどう)した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい日ざめをさとり得られた。
それゆえに人は知るべきである。智慧の完成の大いなる真言(しんごん)、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮(しず)めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。

ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。)

ここに、智慧の完成の心が終わった。

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