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ショートショート『秋茄子男根奇譚』

秋茄子は嫁に食わすなの「秋茄子」とは、男根のことである。

秋は収穫の季節。農家の繁忙期。そんな時に嫁が男根で遊んでばかりでは、一族の存亡の危機に繋がるという昔からの戒めの言葉である。
「嫁に秋茄子ばかり食わせてると、その年は良い年越しが出来へんぞ!」
農家の若者達がお互いに冷やかしあっている光景が想像される。
茄子は収穫期になると、毎日飽きる程に良く実る。前日に小さかった実が一晩で大きく成長する。その成長の逞しさには、新婚夫婦の性欲の旺盛さを連想させるものがある。

「秋鯖、嫁に食わすな」「秋カマス、嫁に食わすな」「秋蕗、嫁に食わすな」「五月蕨、嫁に食わすな」。表現の仕方にはそれなりに地方色がある。鯖やカマスは男性器、蕗や蕨は女性器の暗示。これではお嫁さんは何も食べられなくて可哀想。もちろん夜にこっそりと食べていたのでしょうけれど。
どの諺も京都のお公家さんや江戸のお武家さんからではなく、かつては日本中のどこにでも有った農村や漁村に住む庶民によって親しまれてきた諺である。日本の土着の文化や思想信条や伝統や哲学や美意識や芸術性やらが色濃く反映された諺だと言える。御短小茄子やボケ茄子なども性的な表現である。
正月の初夢で御目出度いものと言えば、一富士、二鷹、三茄子。其れ等も男根に関係している。ニ鷹は鷹の真っ直ぐに伸びた尾っぽを男根に見立てている。四扇、五煙管、六座頭と続くが、四の扇は女性の股間の暗示でそれ以外は男根である。さり気なく女性を引き立てている辺りが微笑ましい。フロイト博士が登場する100年以上も前から、日本人は深層心理学や夢判断に精通していたのである。

尾張三河の片田舎、残暑厳しい昼下がり、幼馴染の二人の若者、与作と五平、道端の道祖神の前で何やらお互いに冷やかし合い。
「おう、与作!最近可愛い嫁さん貰ったって?そんなら嫁に秋茄子ばっか食わせとるんやろ?そんなんやとエエ年越せへんぞ!」
「なんやって?五平。おめえもどうせ嫁に秋鯖ばっか食わせとるんやろ?」
「ははは。よう知っとるなぁ。嫁が秋カマスを毎晩食いたがるで、くたびれてまうわ。嫁ってのはどこもおんなじやな」
「顔に書いたるわ。今年はカメムシも多いで、大雪かも知れんし。気ぃ付けんとあかんな」
そこへ通りかかった村の長老の金三郎爺さんとツレのお梅婆さん。そして、孫の桃之助。桃乃助は小学校の夏休みで母親の実家に遊びに来ていた。
「若い衆は元気でエエな〜。ワシも若え頃には色々あったが、秋はシメジの味噌汁くらいにしとかへんと、冬になったらドエレェて」
金三郎爺さんが言った。それを傍で聞いていたツレのお梅お婆さん。
「若え頃はワシもようけいウメェ松茸食わせてもらったけどな、今はしらす干しばっかやて。どこがシメジやて」
「なんやってぇ!ワシも昔は良う身のしまったプリプリの焼き大アサリをぎょうさん食わさしてもれぇましたけどもよぉ、今は惚けたワラビの塩漬けばっかやて!」
「なん言っとるんやて、ボケ茄子がぁ!松茸とは言わんへんで、たまにゃぁイカい椎茸の1本や2本取って来やあ!」
「うるへぇて、おたんこ茄子!ワシやってなぁ、皺くちゃの梅干しよりピチピチの桃にかぶりつきてぇて!」
「どっちがおたんこ茄子やてぇ!ワシもなぁ、この歳になっても山本屋の味噌煮込みうどんやら太いきしめんも好きやに、なんでかしゃんけど、シャチハタのチャチなハンコばっか押されんとあかんのやてぇ!」
「ふーん、ほうけぇ。ワシゃぁ、寿がきやのスーちゃんと矢場トンでも食って、添い寝したるわ」
「ふ〜ん、ほうけえ。ほんならそこの若い衆、名駅のナナちゃんの股間で記念撮影した後、一緒に櫃まぶしでも食いに行かへんかね?」
与作が苦笑いを浮かべながら言った。
「ワシらは村祭りの準備もせんとあかんもんで、そろそろ行くわ。金さんも梅さんもいつまでもマメでええこっちゃのう」
そう言うと、与作と五平の2人は鍬を担いで田んぼ道を歩いて行ってしまった。
お梅婆さんが言った。
「ワシらもボチボチ行こめえかのう。桃之助!今日は茄子がぎょうさん成っとるで、よいけい手伝うてくれよ」
金三郎爺さんが言った。桃乃助は退屈そうにこう答えた。
「オイラ、嫁よりも鉄火丼食いてぇ〜」

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