精神疾患(幻覚、幻聴レベル)から抜け出す光の道しるべ→勇気なんだろうな。っていうお話

精神疾患(幻覚、幻聴レベル)を克服した人って世の中にどれくらいいるのだろうと思う。

幻覚、幻聴を体験し、自分の身体がそれを引き起こしていたことがわかるともしかしたらものの見方が変わるかもしれない。
脳って自分が意図せずに存在していないものを見せるし、聞こえさせる。
幻覚、幻聴って、スーパーリアル。

私は精神疾患がひどい状態のとき、幻聴がすごかった。
家に一人でいるのに、いろんな人の話声が聞こえるし(本当に聞こえる)
真冬の夜中にミンミンゼミが部屋の中で鳴いてるし。
(真冬の夜中にミンミンゼミが鳴くわけないと、私が認識したら、今度は幻覚が現れて、夜中2時過ぎなのにマンション中の人が部屋からでてきて、真冬にミンミンゼミが鳴いてますね!とみんな廊下で話していた)
←これが幻覚、幻聴だったと思うと、ほんと、スーパーリアルな記憶で脳ってすごいな。と感心してしまう。

ちなみに、自律神経がうまく機能しなくても、鈴虫の鳴き声の耳鳴りが起きるそう。(これはよくある)

私はいわゆるサイキックの力が少しあって、昔から不思議な体験をしてきた。

過去の数々の不思議な体験の記憶は2通りにわけられると思った。

・精神疾患が引き起こしたのかもしれない幻覚、幻聴
・サイキック能力によるもの

ー精神疾患が引き起こしたかもしれない現象
恐れ、恐怖、不安、現実逃避
関連のもの

ーサイキック能力と思われる現象
予知(未来予言)
自分が知りえないどうでもいい情報
(たとえば韓流アイドルのメンバー決定の情報を夢でみるとか)
自分、他人の神様的なハイヤーセルフ的なものからのご進言
関連のもの

幻覚、幻聴をともなうレベルの精神疾患から解放されたなー。となってから、恐れ、恐怖、不安、現実逃避系の不思議体験がなくなった。

一方、サイキック能力は変わらずある。

幼いころから、幽霊系の不思議体験を何回か経験している。

怪談話をしていたり、テレビをみていると、起き上がれないほどいきなり肩が重くなってしまったり、不思議な影やみえないはずのものがみえたり、聞こえたり(恐怖を伴う)

私は幽霊とか生霊とか呪いとかは、あるのかもしれないし、人が精神の病でつくってしまっているものなのかもしれないし、その両方かもしれないし。と、どれだかわかんないなー。と思っている。

たとえば、生霊とか呪いって話だと、
人と会って、めちゃくちゃ疲れる。。。なんていうのは、

自分がその人と会うことでなにかしら危険を感じて自分を守るためにもう会わないですむように警告するために→
その人と会ったあと、変なホルモン、疲労物質を身体中に出しちゃっている現象なのかもしれない

とも思うし、

会った人が目に見えないネガティブな何かを発していて、
それが外部から自分を刺激して→
めちゃんこ疲れちゃったよー。

なのかもしれない、とも思う。

両方なのかもしれない。と、思う。

何がいいたいかというと、

精神疾患を患っていたり、その手前でかなり心が疲れてしまっている状態だから、超常現象や不思議現象に自分が呑み込まれてしまうってこと。
(精神がまぁ、そこそこ健全だと呑み込まれない。)

人と会ってめちゃんこ疲れる
→(病んでる)帰宅後その人関連の人(親とか恋人とかその人とか)から呪いの言葉の幻聴が聞こえる。
→(心が疲れている)帰宅後すごくイライラして眠れなくなってしまったりその人の悪口をいいたくなったり、強い影響をひきづる
→(そこそこ健全)あー疲れた!やべぇ!塩風呂入る?ストレッチする?など自分で疲労回復の対処をして影響をひきづらない
(その人とまた会うかどうかは別の話。)

病んでるときは、暗闇、Chaos(カオス)にずっぽりはまっているのだと思う。

暗闇なのだから、何を信じればいいのかもわからない。
だって光がない世界だから。

甘言に惑わされ、甘い水のほうへ引き寄せられてしまう。
→私の経験からすると、「自分は間違っていない!」ことを幻覚、幻聴は現実化してくれていると思う。たとえ自分を責める、罵倒するような言葉でも。
逆に、やさしさも真実のものかどうかもわからない。

暗闇の中で、光を見つける方法の一つは

「勇気」

なのだと思う。

自分がこれが光なのではないかとおもう道に進むとき、
「勇気」が必要だとおもう道は、きっと救済への道なのだと思う。

自分をひたすら正当化したり、甘い言葉で誘惑してくるような詐欺師てき要素のものに「勇気」はいらなかったりする。

まぁ、自分を大切にすることが上手にできないと、
「無謀」と「勇気」を区別することも難しかったりしちゃうのだけれども!




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