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心の傷も白髪もヴィンテージの証

グループリワークをうけていることで、自分のこれまでの「異常」に自発的に気付くようになってきた。

自分に焦点をあてず、与えられた課題に取り組むことで、自分の「異常」に気付く。

グループワークって素晴らしいと思う。

グループワークを受けたあと、大きな変化が訪れる。

母親に私は現状を伝えていた。理解してほしいという気持ちもあったのだと思うけれど、私は自分がつらいということを伝えていなかったので、伝えているという事実を作ることが大切だったのだと思う。相手は「知らなかった」のではなく、「伝えていたけれど、無視している」という事実を自分で認識する必要があった。(私は、母親に対しては母親に都合よく解釈してしまうので。)

毎日頭痛、全身痛、激しい疲労に襲われている。

でも、以前より、痛みからの訴えに気付くようになってきた。

フラッシュバックが私に訴える内容に耳を傾けられるようになってきた。

そんな中、母からラインが届いた。

「毎日寒暖の差が激しいけれど、母は体調に気を付けてがんばってます。」と。

母親一番、母親最優先の洗脳がとけていない私は、母親を慮った返信をする。

そのやり取りの中、激しい感情があふれてきた。

自分でも何が言いたいのかわからず、動悸は激しくなり、混乱する。

あぁ、私は原因が何かはわからないけれど、いま、すごいストレスを感じている。ということに気付く。

発狂しそうだ。と、思った。このままでは頭が狂いそうだ。と、思った。

何が原因かわからないけれど、このまま母親と連絡を取り続けていたら私は発狂する。と思った。

ラインで「発狂しそう。もう連絡してこないで。返信不要。」と送信し、夜の10時を過ぎていたが、外に出た。この部屋から出て歩きたかった。

20分くらい歩いていると、混乱が少しずつおさまり、心の奥底が「喜び」を感じていることに驚いた。とても鈍い、静かな鼓動で、ひっそりと「ウキウキ」している。すごく疲れているけれど、ほっとしている自分がいる。

母親にさよならを言えたことに喜んでいた。(発狂しそう。となったのは、私が毎日母親との葛藤の中で苦しんでいて、頭痛、全身痛がひどいということを伝えているのに、母親は、娘の身体を心配するのではなく、「母親は大丈夫。」と、母親を心配し気遣うことが私の一番の心配事であるのでしょう。というアピールに強烈な違和感を感じたのだと思う。)

その後のリワークで、自分が負の感情を感じることができないことに気付いた。

私はポジティブはいいもので、ネガティブは悪いものだと思っていた。

頭痛、全身痛、そしてひどい疲労感はすべてネガティブな感情の叫びなのだということに気付いた。

ふと、母親から言われていつまでも忘れられない言葉が脳裏によぎった。

前職をやめて、働けない状態でいても、私は休むということがわからず、「キッチリ」していた。前職でハードすぎるとき部屋が散らかっていることが苦痛だったから、仕事を辞めてからは部屋をきれいに片づけたかった。(私は完璧じゃないと許されないと思っていたのだとおもう)

そのとき、部屋を訪れた母親が言った言葉。

「あんたみたいにキッチリちゃんとする人の周りにいる人はほんとに大変よ」

これを言われた当時、私は何も感じなかった。

そのとき受けていたコーチングの先生にこの話をしたところ

「おもしろいユニークなお母さんですね!お母さん魅力的だな。」と言った。

この記憶がグルグルとかけめぐり、胸が苦しくなり、どうすればいいのかわからなくなった。

「途方に暮れる」

そう思った。もう、どうしたらいいのかわからなかった。

しばらく「途方に暮れていた」

どのくらい時間がたったのだろう。あれ。傷ついているんじゃないの?と思った。

私、傷ついたんだ。

自分が母親の言葉に傷ついていたことを受け止められると、大号泣した。

これ、ひどい言葉だな。といまならわかる。

モラハラでパニック障害になって、離婚してからはがむしゃらに働いてきた。無我夢中で仕事に邁進して、自分の身体を壊すことを目的とするような働き方をして、それでも、部屋を片付けないと生きられない。自分を休ませることができない。そんな娘にむかって、いたわるどころか、あなたの存在自体が周りを苦しめているというのだ。

ひどい言葉を言われて、自分が傷ついているという事実に気付けないでいた。いつもそうだった。私は母親から私を傷つけることだけど目的とした言葉を言われ続けてきた。

でも、私は母親が私を傷つけることを言うはずがない。と「洗脳」されていたので、そのことに気付くことはできなかった。

以降、パズルが一気にとけはじめた。

・私が「母親は素晴らしい人である」ということを証明するために生きることを目的としていたこと。

・母親は私のことなんて見ておらず、常に父親のことをみていたこと。父親への復讐に私を利用していたこと。

そして、

・母親が私の不幸せを常に望んでいたこと。

すべてこの3点で私の人生は説明がつく。

私はいつも周りから「素晴らしいお母さんに育てられましたね」と言われ続けてきた。それは、私がそれを目的として生きてきたからで、見事に実行してきたのだ。そうやって母親が褒められることをし続ければ、いつか私のことを見てくれる。私に注目してくれると信じていたのだと思う。

母親は父親に復讐しているのだと思う。育った家がゴキブリだらけで汚かったのも、娘たちの精神を正常にすることよりも、父親のせいで汚い家で育って不幸になる娘を作り上げるほうが母親の目的だった。だから、私がゴキブリを全部掃除して、キレイな家にしようとすると、母は私を無視して、私の心を痛めつけるような言葉を発した。母親の復讐を阻害する行動は許されないものだったから。

母親が自慢できる娘であるのと同時に、父親が自慢できるのは許せない。だから、母親ががんばっていいところもある娘だけれど、父親のせいで不幸な娘である必要があった。

母親は私のことを嫌いなのでもなんでもない。

ただ、父親に復讐するために、娘は不幸せでいる必要があった。

納得がいく。私の記憶すべてにつじつまがあう。

これまで、どうして?なんで?なにが起きてるの?と私の頭は?だらけで混乱していたけれど、思考を抑えつけることなく、静かに、ただ、納得している。

悲観的になることもなく、さあ、これからどうしようか。と思う。

すこしずつ、身体をうごかせるようになってきた。

疲労感が自分の負の感情の叫びだと気付けてから、鉛のように重くて動かなかった身体は、動けるけど、疲れているな。と、疲労感を回復しようと思える程度のものになってきた。

毎日起きて、ウォーキングにいけるようになった。

ウォーキングしながら、「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」を聞き流している。

自分が「自分を押し殺して母親のためだけに、母親の満足を満たすためだけに存在しよう」と心に決めて生きていたことにもっと早く気付きたかったな。と思う。

けれど、人生はすべてベストタイミングで起きているというし、早く気付きたかったと願ったところで、かなうはずはないのだから、45歳で気付けてよかったのだと思い、さぁ、これからどうしようか。と生きていくのだと思う。

母親の自己満足を目的として自分を殺して生きていたけれど、それでも私の身に起こることは私だけの人生の出来事にあふれている。

愛猫と出会えたことで私の人生はおおきく舵をきれたと思う。

私はきっと、「不戦」を学びたいという希望があるのだと思う。幼いころから、みんな仲良しで過ごせたらいいのに。という願望があった。私はダライ・ラマ法王と何度かお会いする機会に恵まれて、ダライ・ラマ法王と近しい方と一緒にお仕事をさせていただく機会にも恵まれている。

あ、そうだ。

「私は傷ついている」ということを癒す方法がわからず、ただただ号泣していたとき、オフィシャル髭男dismの「ヴィンテージ」という歌を思い出した。

「キレイとは傷跡がないことじゃない。

傷さえも愛しいという奇跡だ。」

私はジュエリーを販売していたとき、経年劣化を心配するお客様にいつもお伝えしてきた。

「世界に一つのお客様だけのジュエリーです。私は世界一のお品物だとおもっているので、大切に身に着けて楽しんでいただけたらとてもうれしいです。ゴールドは18Kなので、ご使用されていくうちに色が変化してきます。傷もついてくるかもしれません。でも、それこそがお客様と一緒に歩んだ歴史であり、世界に無二のものである証なのだと大切に思っていただけたら幸いです。」

私の心の傷も、心の傷がつくった私の壮大な白髪も、ヴィンテージではないか。と思う。



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