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【少年野球】「お母さん」はなぜ立場が下なのか

 野球は男の世界だ・・・という空気を否定できる人がいるだろうか。時代とともに少しずつ変化はしてきたが、少年野球(学童野球)の世界でもいまだに女性(母親)を下に見る風潮がある。今回はそのことを考察したい。

 地域に根ざした普通の少年野球(学童野球)チームにおいて、母親は一歩・・・どころか三歩さがってサポート役に徹していることが多い。
 もちろんソフトボールの経験がある母親などはノックやボールトスなどの練習を手伝ったり、平日の朝練を仕切ったりすることはあるだろうが、あくまでサポートであることがほとんどだ。
 
 その理由は野球経験のある母親が非常に少ないこと、母親の方が子どもの小さな変化にも気づきやすく声がけや世話に慣れていること、指導者やお父さんコーチが野球の指導にあたるため、それ以外の雑用は母親がやるのが効率的だからである。

 それはいわば「チームにおける役割分担」であり、決して「女性の役割」や「母親の役割」という訳ではない。そこを指導者やお父さんコーチが勘違いしてはならない。単に「適材適所」なだけである。
 
 当たり前すぎて書くのもはばかられるが、「母親」は「母親の一面も持つひとりの大人」である。現在は専業主婦であろうと、学校で学び、社会に出て働き、知識も教養も備えた社会人だ。
 にもかかわらずチーム側が母親にもとめるのは「気が利く従順な母親」であり、そのステレオタイプな母親像をアップデートする気がない。
 口では丁重に感謝の言葉を述べていても、心の底では野球を教える男が最上位で、雑用係の女たちを従えるという都合の良い図式を本能的に楽しんでいる。

 そんな男性たちにとって「このチームの方針には疑問があります」などと賢そうに意見してくる母親は「生意気な人」として即座に心のブラックリストに入れられる。そして素っ気ない態度をとったり、気が合う母親たちにそれとなく指示して自分たちの世界から閉め出そうとする。
 
 問題は、そうした「男性優位の組織」を肯定したり、排他的に振る舞うのは男性だけではないという事実である。 
 「野球には詳しくなくて・・・」とニコニコしながら男性をうまく転がせる母親、監督にも気軽にジョークを飛ばすような母親、古い指導者の指示に忠実に従う母親が、力のある指導者の「お気に入り」というポジションを手に入れて自分に居心地の良い場所をつくりあげていってしまう。

 そうした側近的母親が仲介役となって、なかなか意見しにくい母親たちと指導者をつないでくれれば良いのだが、逆に自分の存在価値を誇示するだけの「ボス」的母親になってしまうことがある。
 彼女たちは「男性優位の組織」を支え、新たに母親のカーストをつくって自分の地位と居場所を守ろうとする。そして異分子が出てこないか常に目を光らせ、自分より目立つ人、新しい価値観を持ち込む人を許さない。

 こうした現状を変えるためにはどうすれば良いか。
 特にボス的母親がいるチームでは非常に難しいのが現実だが、まず母親自身がもう少し「控えめでいることの利益」を放棄して欲しいと思う。「気が利く従順な母親」が得をするようなチームは女性が下に見られているチームなのだとちゃんと腹を立てて欲しい。ニコニコして指導者のご機嫌を取ることを当たり前だと思わなくてよいのだ。
  
 もちろん悪いのはチーム側、男性側である。しかし、今現在男性優位の組織を楽しんでいる張本人がそれを自覚して自ら正していく可能性は限りなくゼロに近い。
 また「男性優位な組織」を支えることで自分の力を誇示するボス的母親に個人で戦いを挑んでも勝ち目がないのは明らかだ。
 
 非常に歯がゆいが、一発逆転をねらった大乱闘を起こすのではなく、少しづつ外堀を埋めていくしかない。分別のある普通の母親たちが数で圧倒し、古い空気を入れ替えて行くのが一番現実的だ。
 
 そのためには、これから子どもを入団させる新しい世代、新しい価値観をもった母親が「自分はひとりの大人である」という当たり前のことを当たり前に示すことが大切だ。
 たとえ意見を言える雰囲気ではなくても、指導者にこびを売ったり取り入ったりするような、自分自身をおとしめる態度は絶対に見せないことである。自ら率先して「男性優位の組織」や「母親のカースト」に取り込まれにいってはいけない。

 そして最も大切なのは、入団の際、先輩の母親たちが指導者たちにどんな態度で接しているかをしっかり確認し、母親たちが下に見られているような古いチームには入らないことである。

  
 
  

 

 

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