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【まとめ】少年野球の問題は哀しい大人たちの問題だ(2)

 少年野球(学童野球)の世界で「なんとなくスルーされてきた悪」とはなんだろうか。

 それは「大人たちの快楽主義」だ。

 少年野球を「自分の趣味」にしてしまった大人たちが、自分の楽しさばかりを追求して子どもたちの存在をながしろにしてしまった。子どもたちと関わる活動には「教育」の側面があるということを忘れ、自分たちがイキイキ活動する場だと履き違えてしまった。

 指導者は試合に勝つことばかりにこだわり、保護者はわが子の活躍に自分を重ねてしまい、審判や大会運営者は自分の居場所を守ろうとしすぎた。

 特に監督やコーチ、チームの幹部はボランティア活動であることを大いに利用し、重い責任を回避しつつ好き放題やれる・・・しかも感謝されるという理想的な居場所を手にできると知ってしまった。
 家庭や職場で承認欲求を満たされない中高年にとって「監督」と持ち上げられる優越感、子どもたちを駒として操作し試合に勝つという興奮と幸福感は他に代えがたいものなのだろう。次第にもっともっとと欲が出てくる。

 もはやギャンブル依存症のように勝利至上主義に陥った指導者は、行き過ぎた指導やレギュラーの固定、特定の親子のひいきや排除、チームの私物化などの問題行動を平気で行うようになる。
 彼らはそうした行為が「子どもたちにとって野球がつまらなくなる行為」であると薄々分かっていてもやめることができない。そこに指導者自身の人生の課題があることも薄々理解しているが向き合うことができない。むしろ向き合いたくないから少年野球に逃げているのだ。そしてほんの少し残った良心の呵責から逃れるために、「野球を通した青少年の育成」だの「子どもたちに勝たせてやりたい」だのときれいごとを並べてごまかそうとする。

 ただ、こうした快楽主義の指導者たちを一概に非難することはできない。なぜなら彼らが今まで生き残ってこられたのは、同じように快楽主義の保護者が彼らを支持し守ってきたからだ。


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