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【少年野球】「ボールボーイにはお菓子を」の時代

 スポーツでも勉強でも子どもが興味を持って「面白い」と感じだことは伸びる。大人が言わなくても自分で勝手に頑張るから、良い循環で伸びてゆく。ところが成長曲線は無限に右肩上がりとはいかない。何かをきっかけに成果が出なくなったり伸び悩んだりすると、とたんに興味が薄れ面白くないと感じるようになる。そうなったときが問題だ。

 ほとんどの大人は「じゃあ、もう一度楽しくなるように頑張ろう!」と声をかける。しかし思うように成果が出ないと次第に頑張ろうという気持ちも萎えてくる。子どもの瞳から輝きが消え、ユニフォームに着替える顔は憂鬱そうだ・・・となったとき、さぁ親としてどうすべきか。
 親が率先して不振の理由を突き止め、研究し、努力させ、なんとしても楽しかった時期を取り戻そうと頑張るのか、元プロ野球選手の野球塾にでも通わせるのか、それとも辞めることも視野に入れるのか。

 考えてみれば、大人だって上記のような葛藤と悩みを抱えて生きている。

 「この仕事はそもそも自分に合っていないのではないか」と一度や二度は考えたことがあるだろう。思い切って他業種に移った同僚のその後を聞いて羨んだり安堵したり、意地悪な気持ちになったことだってあるだろう。

 そういう意味では「楽しくなくなったときどうすべきか」という永遠の難問とも思える問いに対する答えは、個人の考えだけでなく現代社会の流れから引き出す必要があると思う。
 
 私たちはこれまで「学歴は高いに越したことはない」「世の中は結局弱肉強食だ」「ツラいことを乗り越えてこそ人生は花開く」といった昭和の根性論を拠り所に生きてきた。「YouTuberのような連中だって、トップに行く人は努力家で勉強家で多忙を極めている。」と思っていて、結局おいしい話などないと信じたがる。
 
 ところが子どもたちは今、学校で何をどのように学んでいるかと言えば、一人一台タブレットを渡され、効率よく質の高い授業、個人の理解度や進度に合わせた授業を受けていて(少なくともそれを目指していて)、全員横並びで競わせることを良しとしないシステムになりつつある。
 また小学生の金融教育も始まり、それは今後さらに重要視されるだろう。労働で得られる賃金以外の収入をいかにして得るかという、いわば「ラクしてもうける」ことを公に学ぶことになる。

 また、何度も言ってきたが子どもたちはテレビをだらだら見るよりも、お気に入りの動画を早送りで見て楽しむ。しかも興味のある分野は関連動画として次々あがってくるから検索の手間さえ省かれる時代だ。

 もはや大人も子どもも「自分のペースで効率的に楽しく」という価値観が当たり前の時代になった。大人はまだそこに懐疑的だが、少なくとも子どもたちは学校という教育現場でそれを体感してしまっている。頑張っても成果が出ないことはシステム的に問題があるか、そもそも向いていないことであり、しつこく頑張る必要性を感じなくなっているのだ。

 結局「社会に出たらツラいことばかりだから、楽しくないからと言ってすぐに辞めさせるのは良くない。忍耐力や乗り越える力をつけさせよう」などと言う価値観は昭和の価値観なのだ。
 今後はきっと「楽しくないことを楽しくないまま続けさせるのは親の怠慢だ」と言われる時代になるだろうし、子どももまた「楽しいかどうか」がものごとを選択する上での最重要ポイントになるだろう。
 
 忍耐・努力・根性は、「楽しい」の前にひれ伏す時代になる

 さてそのとき、ボールボーイを専門にやってくれる子(笑)がどれだけチームに残るだろうか。野球というチームスポーツは生き残っていけるだろうか。そのうち「試合に出ないで応援してくれた子にはお菓子」などと言い出す学童野球チームが現れるかもしれないと本気で思っている。



 

 

 

   
 

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